映画「新聞記者」を観てきました
一段と暑いですね。
今日は川崎の「109シネマズ」で『新聞記者』を観てきました。
平日にもかかわらず、8割ほど席が埋まっていました。
参議院選挙にぶつけたためか、忖度もあったのだろうがテレビ番組での取り上げはほとんどゼロ。それでも口コミやネットで広まって、人気になっている。
シム・ウンギュンの演技には少し難があるが、サスペンス調の展開で息もつかせず見せます。
ここ最近のマスコミの退廃はいっそうひどいことになっている。映画のモデルとなった望月衣塑子記者は、「欧米ではあなたのような取材姿勢は普通ですよ」と言われたそうな。しかし日本では菅官房長官を筆頭に、あからさまに排除をしようとし、それに対して記者クラブが救いの手を延べるどころか、一緒に叩こうというのがこの国だ。
2010年の7月のブログ記事で、マスコミの姿勢についてこんなことを書いてあった。
みんなが右による。少し遅れて自分も右へ。ときによってはみんなより先に右に移動する(朝日新聞のように)。この繰り返しによって、相対的な自分の位置を「中庸」に保とうとする。そして頑固に自分の主義を曲げない「中庸」だった人間がいつの間にか「左」の烙印を押される。烙印を押されたくなければ「まぁ、世の中こんなものですから」などと言って、素知らぬ顔で右に寄るのである。ときの権力を監視しない新聞なら、折り込み広告の入れ物でしかない。
10年経って、内閣情報調査室の上司が言う「この国の民主主義は形だけでいいんだ」のセリフ、まさにその状態がいっそう進んでいる感を強くする。
ラストシーンでの松坂桃李の口元。彼は何を言おうとしているのか、これからどうしようというのか。それもまた見る人ぞれぞれによって聞こえ方が違ってくるはずです。