科学的に考えるということ

科学的な証拠が不十分なとき、どのように意思決定をすれば良いのか?白か黒かがはっきりしているときは簡単です。しかし、私たちが直面している現実は、確かな証拠や証明がないことが多い。つまり現時点で得られる情報は常に不十分なものである。しかもその情報を元にして未来を予測することを考えると、たくさんの影響する要因の一部の(不十分な)情報で予測することとなり、これは更に困難になる。

低線量被ばくの影響はわからない部分が多い。100mSv以下では明らかな影響は証明されていないという。エビデンスがないのであるが、エビデンスがない=影響がないと勘違いしているのが中川恵一氏らだ。そして「放射線を正しく怖がりましょう」とお節介を焼く。低線量被ばくに関して、私たちは「無知」なのである。知識がないのに「正しく怖がりましょう」というのは、実は「何もしない」ということになっている。「何もしない」という選択を「無知」の状態から選択しているのだ。これが正しく=科学的な選択であるはずがない。

癌の代替療法に関しても似たようなことがある。代替療法にはエビデンスがない。エビデンスがないから代替療法なのだが、エビデンスがない=効果がないと、すべての代替療法を切り捨てているのが、現代医療を推進している側の論理です。同じ構図です。もちろん、いかがわしいものも多い。エビデンスを証明する努力も必要であろう。でも、がん患者はエビデンスが揃うまで待ってはいられない。

ここに「予防原則」が有益だという根拠がある。「リスク」や「不確実性」だけではなく、「無知」についても認めて対処する必要があるというのが、欧州環境省が2001年に出した『レイト・レッスンズ―14の事例から学ぶ予防原則』の示された12の教訓の一つである。

科学的合理性だけを掲げていては、目の前のリスクには対処できない。エビデンスにしたがって治療をしたが、効果がなかった。となるとそこから先はエビデンスのない治療を模索することになる。


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