「人生会議」ポスター、これも忖度?

11月30日は「いい看取り」と読ませて「人生会議」の日だそうです。

人生会議のポスターが公表され、がん患者団体などから猛反発を受けて、わずか1日で発送中止になったことが話題になっています。

「人生会議(Advanced Care Planning、ACP)」の意義や必要性は認めますが、このネーミングにも違和感を覚えていました。

「人生会議」は聖隷浜松病院(静岡県浜松市)の現役看護師、須藤麻友氏が応募したもので、「日々の仕事の中で、患者さん自身が『どう最期を迎えたい』と考えているのかを、意思表示ができるうちに医療従事者に話してほしいと思うようになった」と述べ、「食卓の場など身近な場面でも話せるくらいACPが浸透してほしい」と「人生会議」に込めた思いを説明。「縁起でもないことと避けるのではなく、人は皆いつか亡くなることを受け止め、元気なうちからもしもの時のことについて考えることが根付き、望む最期を迎えるようになってほしい」と訴えた。

応募の動機は理解できますが、やはり違和感は拭えません。

「会議」とは集団で議論をし、その決定には従うというニュアンスがありますが、人の最期を事前に「決定」しておけるものでしょうか。

また、4月の診療報酬改定によって、

在宅医療では、訪問診療や訪問看護のターミナルケア加算の要件として、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(以下「ガイドライン」という。)等を踏まえた対応が位置付けられるとともに、療養病棟や地域包括ケア病棟では、ガイドライン等を踏まえ看取りの指針を定めておくことが入院料の施設要件とされ、地域包括ケア病棟では診療実績の一つとして評価された。

ことになっています。

このため、医療機関では無理な「人生会議」への介入が増え、もう治療法がない患者には、『患者支援センター』『相談支援チーム』などといった部門の看護師やソーシャルワーカーから、ある日突然、3択を迫られます。新米の看護師が「あなたはどのような最期を迎えたいですか、次の3つから選んでください。1. 自宅で最期まで過ごす 2.ホスピスに行く 3.地元で通勤できる病院を探す」。手際よくホスピスや地元の病院のリストも用意されています。

このような笑えないことが現実に起こっているのです。

問題となったポスターは、「人生会議」という愛称の選定委員でもあった吉本興業のお笑いタレントの小籔千豊さんを起用しています。

ここでも「吉本興業」かよ。経営最高幹部によるパワハラや下請法違反、反社会勢力とのつながりの疑惑などのある企業に、政府が起用するというのもどうかなと思う。

安倍総理が吉本の舞台に飛び入りで出たり、法務省のPR活動にも参加する、IRへの関わりも模索するなど、話題に事欠かない企業ですなぁ。

これも安倍総理への”忖度”で起用したんと、ちゃいまっか?

ポスターに書かれた文言も「ウケ狙い」の匂いがプンプンとしまっせ。

このような「死」を強烈にイメージさせるポスターを病院に貼れというのでしょうか。

どれだけ話し合ったとしても、多くの家族は後悔の念を抱くのです。そんなことを考えてのポスターではないです。

このポスターでは「人生会議」の本来の目的や趣旨は伝わりません。逆に患者や家族を不愉快な思いにするだけです。

昔の「E電」のように(古いか (^Д^) )、一般にはそのうちに使われなくなるのではないでしょうか。

厚生労働省の別のポスターは、一応まともなことを書いています。

人生の終わりまで、あなたは、どのように、過ごしたいですか?

人生会議は死に際の処置をどうするかではないのです。それまでどのような価値観でどのように過ごしたいのか、それが重要です。

そのためには、治らない病気と覚悟したときから、家族で折に触れて病状や望ましい医療を話し合っておく。有名人などのがんの報道があれば、自分ならこう考えるという話題を家族で共有しておく。そうした日々の取組があってはじめて満足できる終末期の迎え方ができるのではないでしょうか。

患者は、介護をする家族のことを考えて、自分の思いを充分には話せない。家族も本人の希望に沿いたいと思ってはいても、日々の生活に追われて充分には対応できない。

家族で「死」のことを考えておくことにも、抵抗があります。面と向かって「親父、どんな死に方をしたい?」なんてなかなか切り出せませんよ。主治医なり緩和ケア医が間に入って、時間をかけて双方の思いを引き出す。これが理想でしょうが、現実は医者も忙しくてそのような時間を取れることは稀でしょう。緩和ケア医も不足しています。

終末期にどのように病状が変化するかは予測ができません。がんの痛みが殆どなかったという患者もいれば、3~4割はどうしようもない痛みに襲われたという統計もあります。患者の思いも変化します。まだ体力もあり、自分で歩けるときの考えと、寝たきりでどうしようもなくなったときの考えが同じはずはないでしょう。

自宅で最期を迎えたいと望んでいても、在宅介護だけで24時間は対応できません。家族への負担を考えると、医療機関へという選択もやむを得ないこともあります。

そうしたときでも臨機応変に対応し、後で後悔することがあったとしても、「あのときはあれで最善だった」「100点ではないが、80点だったかなぁ」と思えるように、医療者と家族、患者の関係を作っておくことではないでしょうか。

呆れるようなポスターだったですが、これを機会にして、人生の最期の過ごし方を家族と話し合うことにしてはいかがでしょうか。

死ぬことも、人生最後の大仕事ですわ。


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「人生会議」ポスター、これも忖度?” に対して4件のコメントがあります。

  1. 梅澤 より:

    これは畢竟、終末期の延命治療にかかる医療費を
    押さえたいという動機から出ているものです
    そのことを糊塗しようとするから妙な表現になる
    もっとストレートに訴えかけるべきでしょうね

    あとまあ、家族を頼れず、
    一人で死と向き合わなければならない高齢者は
    これからますます増えるでしょう

    1. キノシタ より:

      梅澤様
      確かに医療費抑制もその一因でしょうね。終末期は自宅ででという流れを太くしたいという思惑もありそうです。

  2. 金魚 より:

    人生会議というネーミングは、違和感半端ないですよね。
    それにしても、1日で取り下げるというのは、想定外の反発だったということでしょうか?
    この内容であっても、信念をもってコレで行くという十分に検討したものであったなら、理解は出来ないとしても覚悟のほどを感じられたけれど、うっかりというなら本当にビックリですよね。
    どうやっても、地雷踏むだろうテーマです。万人の理解は得られないのが当然という気持ちで、たくさんの人の意見を事前に聞くくらいの良識がないのかといのが、一番ですね。
    ある意味、配布しなくても十分に流布された気もしますが、これにいくらかかったか聞くのも嫌ですわ。

    1. キノシタ より:

      金魚さん。
      十月にスタートした国の幼児教育・保育の無償化制度で、二〇一九年度分の財源が数百億円程度不足する見通しだとか、大学入試の英語に民間試験を導入が撤回とか、最近の官僚は考える力、庶民がどういう反応をするか想像する力が落ちているのかしら。
      いや、頭脳明晰な彼らだからそのようなことではなく、別の動機が働いているのでしょう。安倍総理のお気に入りの吉本興業だから、これを使って・・・てな動機かなと想像したくなります。

      金魚さんのブログ、ときどきの話題を原典も含めて簡潔に説明されていて、大いに参考になります。

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