今日の一冊(167)『無人島のふたり:120日以上生きなくちゃ日記』山本文緒
前の記事から1週間空いてしまいました。なんだか少し体調が優れません。
内科の先生に、少しふらふらするんですがと言ったら、血圧を測って「180mmHg を超えています」と。
「申し訳ないが薬を出しますよ」と言われた。
申し訳ないというのは、私が日頃から160mmHgを常時超える状態にならない限りは高血圧の治療はしませんと、宣言していたからだ。
日本高血圧学会のガイドラインには従いません。昔の基準、年齢+90でいいのですと告げてあったのですが、これに多分先生も同意してくれていたのだと思っています。
しかし180超えでは自転車に乗っていてもふらついて危ない。数ヶ月前に一時的に200を超えていたので MRI を撮ったことがあるのですがその後落ち着いていたので少しびっくりしました。
「薬はアダラートですか」と尋ねたら「そうです」「10mgですか」と訊いたら「20 mg から処方します」と言われた。
来年は後期高齢者の仲間入りですから、様々な不具合が生じるのは致し方ありません。
人は誰でも、同級生や同年齢の知人が亡くなるのを見送って、自分は最後まで残るのだろうと、漫然と期待をしていますが、そんなこと約束されたものではありません。
いつ順番が来るのかは誰にも分かりません。
膵臓がんステージ4を告知された作家の日記
小説家山本文緒さんの『無人島のふたり』は、突然膵臓がんのステージ4を宣告されて、一度だけ抗がん剤を投与したのだが、その強烈な地獄のような副作用に、もう絶対に抗がん剤治療はしないで緩和ケアだけにすると宣言した山本文緒さんの亡くなるまでの日記です。
120日4か月というのは、築地のがんセンターでセカンドオピニオンの時に医者から告げられた余命です。
『自転しながら公転する』などの著作が売れたので、贅沢をしなければ老後まで悠々と生活できるだけの貯金は蓄えた。再婚した夫と軽井沢に住みながら都内に仕事場としてのマンションを借りて行ったり来たりで、充実していた人生を送って行った山本さんにとって、膵臓がん余命4ヶ月は青天の霹靂でした。
まさに夫と二人で、突然20フィート超えの大波に襲われ、二人で無人島に流されてしまったような生活が始まったのです。
死を前にした気持ちはあまり多くは書かれてはいませんが、
死にたくない、何でもするから助けてください、とジタバタするというのとは違うけれど、何もかも達観したアルカイックスマイルなんて浮かべることはできない。そんな簡単に割り切れるか ボケ! と神様に言いたい気持ちがする。
などと記しています。
癌という病気は死ぬまでの準備期間がありあまるほどあります。
かといって、やっておくことやりたいことはそれほど多くはありません。
山本文緒さんも日々上下する体調に振り回されながら、最後の日々の出来事を作家として”書きたいという性”なのでしょうかと言い訳をしながらも、書き続けています。
膵臓がんの最後は、人それぞれです。激しい痛みに最期まで襲われる方もいれば、ほとんど痛みもなく最期まで元気に過ごされる方もいます。
そして、目標とした120日は過ぎます。その後は・・・
読みたくない方もいらっしゃるかもしれませんね。逆にどんな最期になるのか知りたいという方もいらっしゃるでしょう。
これまで沢山の膵臓癌患者さんと知り合い見送ってきた私にとっては、読んでいて辛い気持ちの方が勝っていました。