今日の一冊(183)『あなたの命綱』久坂部羊
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本書の概要:最新医療の光と、その裏に潜む影
久坂部羊氏の『あなたの命綱』は、がん治療の最前線を舞台に、医師・患者・家族それぞれの「生」への執着と葛藤を描き出した衝撃的な医療小説です。物語は、がんの超早期発見を可能にする「リキッドバイオプシー」や、末期がん患者を衰弱させる「カヘキシー(悪液質)」といった最新の医学的知見を織り交ぜながら進行します。
こうした技術革新は一見、人類の勝利のように思えますが、本作はその裏側に潜む「終わりなき不安」を鋭く突いています。超早期発見ができるからこそ、まだ自覚症状のない段階から死の恐怖にさらされ、データという名の「呪い」に縛られる人々。主人公の中道颯子は、ステージ4の肺がんで標準治療を拒んでAIや代替療法に頼る友人の愛美を救おうと奔走しますが、そこで出会う腫瘍内科医・榊の言葉は、彼女が信じていた「善意の医療」を根底から揺さぶります。医療の進歩がもたらす希望と、それを享受する人間のエゴが、緻密な筆致で対比されているのが本書の大きな特徴です。
「命綱」に込められた、それぞれの立場の解釈
本作において象徴的な「命綱」という言葉。それは、立ち位置によって全く異なり、そして時に残酷な意味を持って語られます。
周囲(家族・知人)にとっての命綱:後悔しないための「エゴ」
家族や友人にとっての「命綱」は、一見すると「患者を救いたい」という純粋な善意に見えます。しかし、榊医師はこれを「周囲の者のエゴ」と断じます。患者自身がもはや治療を望んでいないにもかかわらず、周囲が「最新の治療法がある」「諦めないで」と無理に勧め、命を繋ぎ止めようとするのはなぜか。
それは、残される側が「自分は最善を尽くした」という満足感を得たい、あるいは「あの時もっとこうしていれば」という将来の後悔を避けたいがための自己防衛に他なりません。必死に差し出す「命綱」が、実は死にゆく患者を現世の苦痛に縛り付ける「枷(かせ)」になり、穏やかな最期を奪っているという指摘は、あまりに重く読者の心に突き刺さります。
医師にとっての命綱:無責任な「希望」と自己満足
治療に当たる医師にとっての「命綱」は、自らの職責とプライド、そして罪悪感の裏返しでもあります。腫瘍内科医の榊は、かつて末期がん患者の意向を無視して「何もしないのは申し訳ない」という自らの罪悪感から抗がん剤治療を強行し、結果として患者を激痛の中で死なせてしまったという消えない傷を抱えています。
「やってみなければわからない」「万が一の奇跡が起きるかもしれない」といった前向きな言葉は、一見患者に寄り添う命綱のように聞こえます。しかし実際には、死という「敗北」を認めたくない医師のプライドや、思考停止した医療現場の自己満足であるケースが少なくありません。良心的な医師ほど、その「命綱」が無責任な苦痛の延長線になっていることに苦悩するという、医療の構造的欠陥が描かれています。
患者にとっての命綱:本当の「救い」と受容への到達
病に直接苦しむ患者にとって、本当の「命綱」とは何なのでしょうか。あらゆる治療法が尽きた時、周囲から「頑張って」という励ましと共に投げられる命綱は、もはや救いではありません。それは、溺れている者に救命浮輪を投げるのではなく、重石を付けて無理やり水面に引き止めているような行為です。
患者が本当に求めているのは、延々と続く治療の苦しみや、周囲の期待に応え続ける責任ではなく、「もう十分頑張った」と認められ、静かに人生を締めくくるための「解放」である場合もあります。
物語の終盤、患者である愛美が「自分の死」を受け入れ、残された時間を納得して生きようと決意したこと(受容への到達)は、非常に象徴的です。誰かに生かされるのではなく、自らの意志で死と向き合う覚悟を決めたこと。それこそが、彼女にとっての真の救い、すなわち揺るぎない「命綱」であった可能性が示唆されています。死を受け入れようとする患者と、それを拒む周囲との間の「孤独な溝」を越え、自らの尊厳を取り戻すこと。それこそが、医療が届かない領域にある究極のケアなのかもしれません。
私たちが手にするべき「命綱」
この本を読み終えて、私は「良かれと思ってすること」が孕む暴力性を痛感しました。医療がどれほど進歩し、平均寿命が延びたとしても、死という結末を回避することはできません。しかし、現代の私たちはその進歩を「死の先延ばし」のために使い、患者の最後の一瞬までを「治療」という名目で奪い、消費していないでしょうか。
榊医師が語る「命綱」の真意は、一見冷淡に響きますが、その実、最も深い慈悲に満ちています。それは、相手の人生の重みを自分のエゴで汚さないよう、必要であれば「命綱を放す勇気」を持つことの重要性です。
「あなたの命綱」が、誰かを救うためのものなのか、それとも自分自身の不安を解消するためのものなのか。この問いは、私たちが大切な人の死に向き合い、あるいは自分自身の終焉を考えるとき、必ず避けては通れない究極の試練なのだと強く感じました。
大切な人の「死」を前にして判断に迷うことはたくさんあります。一年前の末期肝臓がんの弟の死に対して、私自身振り返ってみると、『もういいわ。お終いにしたい』と言う弟に対して、緩和ケアに移行するなどの対応を行いましたが、今この本を読んで振り返ってみると、ほぼ納得できるような対応であったと感じております。








