今日の一冊(168)『オカシナ記念病院』久坂部羊

現役の医者で作家の久坂部羊を取り上げるのは3回目です。

『悪医』は、「残念ですが、もうこれ以上、治療の余地はありません」「先生は、私に死ねというんですか」医師と患者の衝撃的な決別のシーンから始まる。

患者は「頑張れば治るはず」「治るまでつらくても頑張る」と思いがちです。

治る段階を過ぎた癌は治らないこの当たり前の事実に対して、抗がん剤は癌細胞と増殖を抑え込む薬であって癌を治す薬ではないそうしたことを多くの人が知らないことも問題でしょう。

しかし「治るかもしれないという希望が生きる支えになっているので医者としても絶望的なことは言いづらいのだと思います。

それやこれやは以前の記事に書いてあります。

『オカシナ記念病院』は、久坂部羊の医療に対する理想的な姿を表したものかもしれません。

新見一良は、日本でも最高レベルを誇る白塔病院の医学部を卒業し初期研修を終えた。後期研修は医師と患者の関係が濃厚そうな離島の病院にしようと決めていた。

そして選んだのが南沖平島にある岡品記念病院だった。東京で最高の医療を学び、この島でもそれを患者と勢い込んで赴任したのだが、期待はずれで面食らうことばかり。

ジンマシンができた男性に一良が症状の説明をしようとすると、「早く痒いのを止めてくれ」と高飛車に言われ、看護師に抗アレルギー剤の注射を指示した。するとその患者は「注射はいらん」と断った。「注射はせんでもええ。」それじゃあ抗ヒスタミン剤を処方しますと言ったら患者はそれにも首を振って「副作用で眠くなったら仕事にならん」と断った。「塗り薬ば出してくれ。」

ここでは患者が治療法や薬を決めるのかと一良は憮然とした。

「患者が治療法を決めるのはおかしいでしょう」と一良が言うと、看護師は「イライラするだけ時間の無駄です。早く処方しちゃいましょう」と取り合わない。

気管支炎の患者にレントゲン写真を撮ろうとすると「それはええ」と断られ、脱水気味の患者に点滴を指示すると、「そんな大げさな」と笑われた。タール便の患者に胃カメラを勧めると「もう少し様子を見るさ」と拒絶された。

68歳の照屋のオバアが睡眠薬が欲しいと診察にきた。いつもの薬をくれと言う

首に親指ほどの膨らみがあるのに気付いた一良が首の触診をして、「これは甲状腺の腫瘍です。きちんと検査をしましょう。鹿児島か那覇の大学病院に行ってください。紹介状書きますからすぐにその準備をしてください」と言うと、照屋のおばあは怒った。「わしは眠り薬をもらいに来ただけじゃよ。どうしてわしが大学病院ぱ行かんならんば」と目に怒りを滾らせている。

たまりかねた一良が岡品院長に相談をすると、院長は、「照屋さんは甲状腺の腫瘍を治してほしいと言ったのかね」一良に問うた。

そして「何もしなくていいんだよ」と言う。

「医者の多くは病気を治すことを良いことだと思っている。だから医学的な判断を優先したがる。しかしそのために返って患者を苦しめたり、よくない結果になることもあるのじゃないか」

「彼女は今、脳出血で倒れて全身麻痺で寝たきりのご主人の介護をしている。老人二人きりの所帯だ。その彼女が入院してしまえば、ご主人の介護は誰がする? それに手術をしたら確実に助かるのか」「手術で癌を治してもいずれは死ぬよ。」

「彼女はある程度自分の死期を悟っているんだよ」

「睡眠薬が欲しいって言ってきたのに、君は手術を勧めようする。患者が求めているものを出さないで、要らないというものを売りつけようとしている。それはおかしいだろ」と言われてしまう。

「照屋のオバアには検査もしないし治療もしない。もちろん島外の病院にも送らない。照屋さんが残された時間を納得して過ごせるようにするには、それが一番いいんだ」と、岡品院長は断言する。

オカシナ記念病院 (角川文庫)

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久坂部 羊
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黄疸のひどい膵臓がん患者の奥村さんが、点滴にやってくる。がんの薬は全く入っていない。

ステージ4で手術はできない。岡品院長からは「抗がん剤で、強烈な副作用を我慢して治療すれば半年、何もしなければ3ヶ月」と言われて、何もしない方を選んだ。気休めに点的に来ている。

ま、丸山ワクチンと同じようなものか。一良が「死ぬのは怖くないですか?」と訊くと、

「そりゃ、もちろん、死ぬのは怖くないさね」とはっきり言う。

「死んだら何もわからんもん。はははは」と。

病気はできるだけ見つけない方がいいんだ。見つけたら治療しなきゃならんだろう。治療すると正常になったかどうか確認の検査が必要になる。正常になっても再発しないかどうか、定期的に調べなきゃならない。そんなことを繰り返しているうちに別の異常が見つかって、またそっちも治療しなければならなくなる。エンドレスだ。病気も異常も、検査さえしなけりゃ自然に治ることもある。時間はかかるが、その方が副作用もないし、治療で全身のバランスを崩す心配もないのだ。

これが岡品病院の方針だ。

「この島の人は、無理に長生きを求めない。死を迎えることにもさほど抵抗はない。むしろ医療で無理に生かされることを嫌がります。」

昭和のはじめ頃までは、日本全体がそのようだった気がします。

オカシナ記念病院のやり方を強く拒否していた主人公は、徐々に自分の常識を疑うようになる。

がんで死ぬのが最高の死にかた

2014年12月31日に英国医学誌(The BMJ)の元編集長であるリチャード・スミス氏が「がんで死ぬのが最高の死にかた」という文章を発表し、話題を集めました。BMJは世界的な医学雑誌で、その編集長であったスミス氏は、世界で最も影響力がある医師の一人です。

スミス氏は自殺を除く死にかたを、突然死・がん・認知症・臓器不全に分類しました。最悪の死にかたと断じたのは「認知症を抱え、長い時間をかけてゆっくり死ぬ」ことです。

日本人が長生きをするようになってから認知症が増えています。「認知症」などとおかしな名前をつけていますが、昔からモーロクしたと呼ばれています。身体全体が古くなってくたびれてくるのと同じように、脳細胞も老化するのは当然です。ですからモーロクするのは当然の結果なのに、それに「認知症」などという呼び方をつけて病気にしたがるのが現在の医療です。

がんが治る病気になったと言われて、確かにその恩恵を受けている方はたくさんいますが、結局はがんで死ななくなったおかげで長生きをし、認知症になってうんちを壁に塗りたくったり、徘徊をするようになるのです。

ほどほどのところでこの世からおさらばをする。それが一番の幸せです。

もちろん40代や50代のがん患者なら、積極的な治療をして延命を図るのはいいでしょう。

でもね、70代80代のがん患者に無理な抗がん剤治療をして体力を奪い、仮に延命をしたとしても、そのために認知症が進んだり寝たきりになる。それが本当に正しい治療なのでしょうか。

「医療には正解がない」と言いますから人それぞれ、その価値観に従って治療すればいいですが、なんかね。頑張って延命をした患者が素晴らしいようなマスコミの報道、あるいは奇跡的に治った報道などと、そればっかりが強調されるのは弊害が多いのではないでしょうか。

久坂部羊の小説を読むとそういう事を考えさせられます。

良寛さんの言葉:

「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。
死ぬる時節には、死ぬがよく候。
是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」
――良寛


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