「Zoomで膵臓がんサロン」を開催します。

スマホがあれば簡単に参加できます。このような時期だからこそ、同じ病気の仲間とつながってみませんか?

【日 時】2022年12月17日(土) 15:00~17:00
【場 所】Zoomを使ったオンラインの交流会です
【対 象】膵臓がん患者とその家族、遺族
【参加費】無料
【定 員】15名
【内 容】気軽なおしゃべり会です。

ウェブ会議ツール「Zoom」を使ったWeb交流会となります。スマホだけで簡単に参加することができます。
申し込み受付中です オフィシャルサイトから

一粒の種

一粒の種
一粒の種 中島正人 砂川恵理歌

よしもとアール・アンド・シー  2009-02-18
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おすすめ平均  star
star語りかけるような歌詞が響きます
star泣けるというより、優しくなれる歌
starNHKを見て感動しました。

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砂川恵理さんの『一粒の種』が静かなヒットだそうだ。

末期がん患者が残した最期の言葉を看護師が詩にまとめ、沖縄のミュージシャンが曲をつけた。題は「一粒の種」。「人間は死ぬ力を持っている。誰でも」とは、先日のNHKスペシャル「思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」で立花隆が言った言葉。城山三郎は「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」と書いた。こちらに残せるものは何か、一粒の種でもいいじゃないか。「千の風になって」とどこか似ている印象の歌詞だ。

沖縄県出身の看護師、高橋尚子さんが勤務先の神奈川県の大学病院で、中島正人さん(当時46歳)の担当になった。前立腺がんの再発による2度目の入院。がんは全身に転移し、余命3カ月の宣告を受けていた。

中島さんは「手のかからない患者」だった。体の痛みや不安を訴えることもなく、いつも冷静で穏やかに笑っていた。看護師の誕生日に花を贈り、体の不自由な他の患者たちには親身になって面倒を見た。80代の両親との3人家族。親の体を気遣って見舞いも断り、独りで死と向き合っているように見えた。

 「中島さんも苦しいはずなのに」。高橋さんは不思議な思いで見守っていた。
 「余命」を過ぎた04年1月、検温のため病室のドアを開けると、中島さんが震える体を点滴台で支え、取り乱した様子で立ち尽くしていた。
 「死にたくない」。そう叫びながら、大粒の涙を流す中島さんを、高橋さんはベッドに座らせ、背中をさすった。本当の姿を見たと思った。
 「一粒の種になりたい」「一粒の種でいいから生きていたい」。中島さんはうわ言のように、何度も繰り返した。その夜、危篤状態になり、3日後に息を引き取った。
    *
 数日後、高橋さんは中島さんの「遺言」を1編の詩にまとめた。
 <ちっちゃくていいから/一粒の種になりたい>
 高橋さん自身もがんの疑いで手術をしたことがあった。「夫と子どもたちを残しては死ねない。体を何百回切り刻まれても生きたい」と願ったあの時の自分と、中島さんの言葉が重なった。「命と引きかえに中島さんが残した魂の言葉を、多くの人に伝えたい。言葉の種を、私が代わりにまこう」。そんな思いで書いた詩だった。
 中島さんの母親は息子を失った心労が持病の高血圧と重なり、脳梗塞(こうそく)で倒れ、言葉を話せなくなった。「この詩を歌にして、聴いてもらいたい」と思った高橋さんは、同じ沖縄・宮古島出身で知人のシンガー・ソングライター、下地(しもじ)勇さん(40)に作曲を頼んだ。
 下地さんは悩んだ。「無念の思いが詰まっていて、死を実感した人にしか書けない詩。自分に曲がつけられるのか」。いったんは断ったが、その後、父のように慕っていた叔父が急死。自らも死と向き合うことになった。
 高橋さんの詩を歌いやすい歌詞に変え、曲を付けた。そして「いつかまた必ず会える」との思いを込めた言葉を書き加えた。
 <命の種に必ずなるから/すぐそばにいるから>
 06年夏、下地さんがギターで弾き語りした試聴CDが高橋さんに届いた。最初の依頼から1年。歌を聴いた高橋さんは「あらゆる気持ちを包み込む、優しい歌」と感じた。早速、中島さんの父親に曲を送り、病床の母親にも聴いてもらった。
 「誰が歌っているの」。寝たきりになって約2年。この時、母親は初めて言葉を発したという。
    *
 下地さんにはこの歌を歌ってほしい人がいた。同郷で友人の歌手、砂川恵理歌さん(32)だ。
 歌手になるために上京した砂川さんは、夢をかなえる厳しさを知り、9年前に帰郷。高齢者施設の介護職員として働き、多くのお年寄りを看取(みと)ってきた。下地さんから声をかけられたのは、大好きないとこを白血病で亡くした直後だった。曲を聴き「私が歌いたい」との思いがこみあげた。
 約1年間はライブなどで披露した。シンプルでゆったりしたギター演奏に乗せて、砂川さんは語りかけるように、ひとつひとつの歌詞を歌う。「聴かせたい人がいる」「家でも聴きたい」。そんな声に後押しされ、今年2月にCD化。全国の学校や福祉施設、病院などで「一粒の種」を歌うチャリティーコンサート「スマイル・シード(種)・プロジェクト」も始めた。山形県から沖縄県まで115カ所に招かれ、約1万2200人が聴き入った。
 病院の個室で歌ったこともある。ある女性から「がんで余命3カ月の母のために歌って」という手紙が届いた。家族と主治医だけがいる個室で、砂川さんはラジカセの伴奏に合わせて歌った。「最後まであきらめず頑張るね」。母親は笑顔で砂川さんの手を握った。(ガン完全克服マニュアルより引用)

歌を聴けば涙腺がゆるむんですよ。でもね。何か違うんだよなぁ。何が、と明確に言えないけれど。死んだあともあなたを見守っているよというわけでしょ。死んだら何にも残りはしない。魂なんぞ信じることはできない。だから、私の死に方は、生きている間は生きるということ。例えがんで死んでも、それががんを克服するということ。人は生きて、死ぬ。当たり前のことが当たり目に生起する、ただそれだけのこと。お涙ちょうだいは要らない。アジアは『生きたい、生きたい』と考え、欧米は『死にたくない、死にたくない』と言う、とは堀田善衛だったか。日本はアジアから欧米型になったようだ。

砂川恵理オフィシャルブログ


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