イレッサ-国立がん研究センターの見解にたいする疑問

管総理の最終判断により、イレッサの和解勧告は拒否すると決定したと報じられている。この決定に関しては、先の国立がん研究センター、日本肺癌学会、日本臨床腫瘍学会の「和解勧告は受け入れるべきではない」とした見解が大きな影響を与えたものだと思われる。しかし、これら3組織の見解は的外れであり、問題のすり替えが随所に見られる。

最初に出た国立がん研究センターの「見解」の疑問点を列挙しておく。

資料は次の2点です。
イレッサ和解勧告で、国立がん研究センターが緊急会見(ロハス・メディカル)
薬害イレッサ: 東京・大阪地裁 和解所見・勧告 要旨 (弁護団がまとめた)

  • 和解勧告書も見ないで和解に反対するとはどういうこと?
    嘉山氏は上の緊急会見において「細かいことは我々は……、まだ和解勧告書を見ておりませんので分かりませんが」と述べている。確かに裁判所は和解勧告書を非公開とした。しかし、その「所見」要旨は弁護団から明らかにされている。
    「所見」によると、「緊急安全性情報が発出された平成14年10月15日までにイレッサを投与され」た患者を救済の対象とした勧告である。
    しかし、嘉山氏の見解は、これを「絶対に安全な薬はない」だとか、「副作用一般」にすり替えていないか?

発売開始前の治験においてイレッサは高い効果を示しましたが、投与を受けた患者さんの中に急性肺障害・間質性肺炎を起こした方がいたことから、当時の厚生労働省内の国立医薬品食品衛生研究所・医薬品医療機器審査センターは治験結果を科学的に審査し、イレッサによる急性肺障害・間質性肺炎を重大な副作用として添付文書に記載し、注意を呼びかけるよう指導しています。

  • 患者原告は「初版」の添付文書を問題にしているのに、緊急安全性情報が出てから添付文書を書き換えたと言っても的外れではないか?

    嘉山氏は「記載の順番は問題ではない」と言うが、初版の添付文書では2枚目の目立たないところに「致死的」との注意書きもなく記載されていた。
    ほかの肺がん治療薬では化学療法に十分経験のある医師や緊急時の措置ができる医療機関に使用が限定されているが、それもなかった。

  • 国立がん研究センターも承認前のイレッサの宣伝に荷担し、患者に期待を抱かせたのではないか?
    勧告書の「所見」では、『承認当時、イレッサは
    従前の抗がん剤と比べて副作用の程度が軽い新しいタイプ(分子標的治療薬)の抗がん剤と認識されており,患者は「重い副作用のない抗がん剤」と期待していた。』
    と述べている。
    私の記憶でもテレビや週刊誌、新聞記事が「夢の抗がん剤」と持ち上げていた。イレッサの承認(2002年7月5日)の半年も前の「Medical Tribune」誌に、当時の国立がんセンター中央病院内科部長 西条長宏氏と名古屋市立大学医学部第二内科教授 上田龍三氏の対談がアストラゼネカ(株)の提供で掲載され、「副作用のない抗がん剤」と宣伝に一役買っている。
  • イレッサは、特定の肺がん患者に劇的に効果がある、という点を強調する主張もある。ある種の遺伝子変異のある患者によく効くことは事実である。しかし、問題にしているのは、その効果が判明する前の初期の治療において、患者に全ての情報を公開したのか、それが問わているのである。
  • ステージⅣの肺がん患者は、いずれ死に至るのだから、数%の副作用死は賭けるに値する、との主張もある。
    この考えの誤りは、初期の患者は「副作用の少ない抗がん剤」だとマスコミやアストラゼネカの講習会を受けた医師から言われていたことを無視している。さらに、数%は公表された数字からの計算であり、実際にはさらに大きい可能性もある。この主張の最大の問題は、「どんな死に方をするかを選ぶのも患者自身だ」ということを無視している点だ。患者に必要な情報を全て与え、最終的には患者が治療法を決定する。これがインフォームド・コンセントではないか。
  • 「今後の新薬の承認や治験が遅れて、患者の不利益になる」との嘉山氏の言い方は不愉快の一言に尽きる。患者を脅かすのもいい加減にしろと言いたい。今回の問題は承認された新薬の問題であって、治験でも臨床試験でもない。イレッサの承認前からアストラゼネカの宣伝に一役も二役も買った組織の最高責任者が言うべき言葉ではないだろう。不都合な情報を隠蔽する体質が正されないのなら、それこそ今後の治験や臨床試験に参加しようとする患者はいなくなるのではないか。問われているのはそのことである。
  • 「重篤な副作用は予測できなかった」という一方で、「添付文書には適切に記載されていた」というのは矛盾している。予測できなかったことをどうして適切に記載できるのか。
     

イレッサの承認審査に当たった専門家やガイドラインを作成した者の多くがアストラゼネカから何らかの金銭的な援助を受けていたという。これで公平な審査を期待する方が無理というものだろう。日本肺癌学会に至っては厚生労働省や患者団体からも同社との金銭関係について公表するように求められているが、未だに拒否したままである。(そりゃ公表できないよね。もらっちゃってるんだもん。)

イレッサに関する声明を出す患者団体は、同時に同社との経済関係の有無を明らかにするべきだ。研究論文にも「利益相反」が記載され、経済的関係のある研究者の論文はその価値がないと見なされる時代である。癌に関する各種組織も、「これこのとおり、この会社からお金はもらってないよ。だから私の言い分を聞いてね」と、身の潔白を示してから考えを発表するべきだろう。

嘉山氏らは「副作用のない薬はない」「未知の副作用であった」などと、避けられない不幸なできごとであったかのように問題を一般化し、すり替えている。薬害ではないと言うが、これを薬害と言わず何が薬害か。「医療崩壊を招く」などと脅し文句を言うだけでは通らないだろう。


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イレッサ-国立がん研究センターの見解にたいする疑問” に対して2件のコメントがあります。

  1. netti より:

    医療者サイドの人間なのですが、思った事などを。
    イレッサについて、当時、患者が入手出来る情報が偏っており"自律的な選択を行えなかった"と言うのと"不幸な転機を辿った事に対して患者遺族は慰撫されるべき"と言う2点が裁判所側の文脈であり、そこは社会的な要素であって、医学的文脈の人達とは噛み合わないだろうなぁと思うのです。
    医学的文脈でこの件を擁護するなら、新薬導入が拙速であっても、抗がん剤を早く導入した方がtotalでの"のべ"患者生命予後は改善が見込めまる、と言う考えでは無いかと。
    患者をマスで見る癌センターの様な所だと、余計にそう考えるのだと思います。
    これはどちらの視点も正しくて、お互いの立場の代弁者は自分の正当性を主張しなければより良い方向にはならないんだと思います。だから、どちらも悪意がある訳でも間違っている訳でも無く、論争が起きるのは正しくて必然だと。
    そこで、社会的文脈を医学的文脈を曲げずに解決するのが、小児麻痺の保障などの様に"過失とは無関係に保障がある"と言う仕組みなのだと言うのはあるのですが。
    後、体感として、こう言った"予想外に不幸な転機を辿ってしまう"事は実地臨床では非常にありふれていて、その事は体感として価値観が一致しないんだと思います。イレッサに限らず、薬剤性の間質性肺炎、と言うのは非常にメジャーな副作用でもありますし。
    もっと調べれば事実が分かったはずだ、とかそう言う意見は、医療の不確実性に目をつむった後出しジャンケン的な要素が絡むので、少なくとも外野から言われると過剰反応してしまう、と言うのもあります。
    "製薬会社が金儲けのため治験を適当にやって患者を不幸に陥れた"と言った様な勧善懲悪の論調のマスコミが少ない印象なのが救いかなぁとか考えていますが。
    まとまりがありませんが、御参考になれば。

  2. naka より:

    早速テンプレートの見にくい部分を改善していただきありがとうございます。
    ところで、イレッサの問題ですが、がん研究センター所長の見解はなんだか変だと感じていましたが、貴方様のブログでスッキリしました。科学者であるべき人は、事実を十分に調べるべきだと思いますが。がっかりしました。

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