がんが自然治癒した人の「9つの共通する実践事項」

DP3M2144まるで城門のように見えるが、自由が丘の居酒屋。昼間の方が風情がある。


このような本が出版されるのを待っていたんです。

がんの自然治癒を詳細に紹介した本には『癌が消えた―驚くべき自己治癒力』があるが、いかんせん、出版から20年も経ち、中古品でしか入手できない。豊富な自然治癒例を患者の体験として書いてあるが、彼らに共通した自然治癒への方法は? というと、それが明確に分析はされていない。

がんは摩訶不思議な病で、自然治癒することがたまにあることは、よく知られている。しかし、それを系統だって研究しようとする研究者は、最近ではいなかった。何故だろうかと不思議に思っていた。だって、がんの自然史の例外を研究することは、がんをより理解するための格好の教材ではないかと思うのだ。

それをやってくれた女性研究者がいた。ケリー・ターナーである。その本とは『がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと

内容の紹介は、私の説明よりも、プレジデント・オンラインに載せられたこの本の抜粋を読んでみて欲しい。2回に分けて連載されている。

治癒不能といわれたガンが自然治癒する現象が、実際の医療現場で話題になることはまずない。 しかし筆者が目を通した1000本以上の医学論文において、ガンが自然に治癒した事例を報告していた。医師は治すのが仕事なのでこうした事例を追跡研究することはなく、「たまたま」治ったという話は「偽りの希望」を与えるだけだとして積極的に口外することもなかったために、自然治癒事例は事実上放置されてきたのである。全く科学的にメスを入れられていないこのテーマを解明するために、「劇的な寛解」事例を報告した医学論文をくまなく分析し、日本を含む世界10カ国で寛解者と治療者のインタビューを行った結果、ガンの自然治癒を体験した人々には、「9つの共通する実践事項」があった。

(1) 余命宣告から「自然治癒」に至った事例が放置されてきた理由

(2) 末期がんから自力で生還した人たちが実践している9つのこと

彼女が上げた9つのこととは、

  1. 抜本的に食事を変える
  2. 治療法は自分で決める
  3. 直感に従う
  4. ハーブとサプリメントの力を借りる
  5. 抑圧された感情を解き放つ
  6. より前向きに生きる
  7. 周囲の人の支えを受け入れる
  8. 自分の魂と深くつながる
  9. 「どうしても生きたい理由」を持つ

である。

これを実行すれば必ず治るというものではない。彼女もこう言っている。

もしもわたしが、「この9項目を実践したらあなたのがんは確実に治ります」と言ったなら、それは人に偽りの希望を抱かせる行為です。わたしはそうは言いません。わたしに言えるのは、「がんの劇的寛解の起因になったと考えられる9つの仮説を検出しました」ということだけです。

また、三大療法を否定するものでもない。統合医療として実行しなくてはならないと強調している。

「自然治癒」を声高に言うことは、患者に「偽りの希望」を抱かせることになるのか。私も彼女と同様に、そうは思わない。バーニー・シーゲルの『奇跡的治癒とはなにか―外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣』に書かれた次の言葉を思い起こしてみたい。

  • 病気とつきあう上で、患者の心に「偽りの希望」などは存在しない、と私は言う。希望は統計などではなく生理的なものだ
  • 偽りの希望とか客観的な心配といった概念は医学用語から抹殺されるべきだ。それらの言葉は、医者も患者も駄目にする。
  • 「偽りの希望」とは、医者が患者に統計が示すとおりになる必要はない、というだけのことなのだ。ある病で十人のうち九人が死ぬとして、十人が十人とも死ぬだろう、と言わなければ「偽りの希望」を広めていることになるというのか!
  • 私の言いたいのは、誰もがその生き残りのひとりになれる、ということだ。患者の心の中では、希望は全て現実のことだから

私自身が実行してきたことに照らせば、9つのほとんどがあてはまるように思える。甘い自己採点だが。

そして、1と4以外は、”心の有り様”に関係する項目だということが重要だ。敢えて言うならば「適度な運動をする」が無いのが不思議ではある。

彼女が「自然治癒」を知るきっかけとなった本、アンドルー・ワイルの『癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか (角川文庫ソフィア)
』も紹介しておきます。昔から左のサイドバーに載せてるけど。

【追記】

運動について、著者は「おわりに」で次のように説明している。

言うまでもなく「運動」は、調査で浮上した七五の要素のうちでも、上位に入る一つでした。けれどもわたしはあえて、「運動」を含めて、本書を一〇要素の構成にはしませんでした。その理由は、ほとんどの場合がんと診断された直後には身体が弱りすぎていて、運動には適さないからです。何ヶ月かたって、治癒を実感し、元気を取りもどしてくると、多くの人が定期的に運動を始めます。

この「弱りすぎていて」というのは、抗がん剤の副作用が主ではないかと思います。抗がん剤を始める前には元気な人が多いのだから、その時点で運動を始めて、体力に応じて調整すれば良いのではないでしょうか。


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がんが自然治癒した人の「9つの共通する実践事項」” に対して2件のコメントがあります。

  1. キノシタ より:

    ふじこさん。
    そうですね。「適度」よりは「適当」が良いのかも知れません。あるいは、脈拍数で限界を決めるとか。
    ところで、9つ(+運動)に共通しているのは、「実存的転換」です。「もう、昔の自分には戻れない」というほどに「彼らが如何に大きな自己変容を遂げたかということ」です。そして、転換や変容の方向性ではなく、その前後の落差が大きいほど劇的な治癒を得ているのだと書いています。
    「実存的転換=自己変容」についてはわたしも何度も書いていますが、ターナーによって再認識されたのです。

  2. ババリーナふじこ より:

    興味深い本を紹介してくださり、ありがとうございます。
    私も『適度な運動』の重要性を痛感しています。心の平穏が大切なのは言うまでもありませんが、誰もがすんなりと瞑想に取り組めるわけではないと思います。斯く言う私もそのタイプなので、体を動かすことで心とのバランスを取っています。毎日の『ふじこスペシャル』で体の歪みを調整し、週に一度のバレエレッスンを感情表現の場にしています。指先から悪いものが出ていくようなイメージとともに動くこともあります。バレエセラピー、ってとこかな。(シェーグレン症候群のため、悲しくても感動しても涙が出ません。これは、けっこうツライ。『涙活』が流行るのも頷けます)
    また、運動開始のタイミングについてはキノシタさんのご意見に賛成です。私は膵頭部癌と分かった日も、「死んじゃうのかな~・・・」と思いつつ体操していました。入院中はベッドの柵(?)を外して、手術当日の朝までイメージトレーニングや体操をしました。手術後に傷が治っても皮膚が突っ張ってウルトラマンみたい(腰の引けた状態)になるのが嫌で、半年かけて徐々に伸ばしました。
    ところで、運動するにあたって注意したいのは、『適度な』ということです。「無理はしないでね!」 ヨーガなり各種体操なりのインストラクターがよく使う言葉ですが、これがかなりの曲者。『何が適度なのか?』は個人差もありますし、今まで自分の体と向き合った経験の乏しい方は、やりすぎることも往々にしてありそうです。
    いろいろ考えると、やっぱり安心安全なのは『歩く』ことかな? キノシタさんのように趣味を兼ねて散策、なんて理想的ですね。とは言え私の場合、いろんな制限(日光に当たり過ぎは避けよ、とか。難儀なやっちゃ・・・)があるため、普段はおうちde運動ですが。
    寒くなりましたので、散策の折は暖かくしてお出かけ下さい。

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