バッハ:平和への祈り
昨夜の夕焼けは怖いほどでした。台風が接近しているためでしょうか。それとも国会で緊張感を増している「戦争法案」を象徴しているのでしょうか。
一日、ヴィヴァルディのチェロ・ソナタ第5番に挑戦している。レッスンで弾いたのはだいぶ前なので、ほとんど忘れている。書き込みを頼りに思い出しながら。
largoはなんとか満足できる(今の段階で)まで弾き込んだ。出だしのミ⇒ミの1オクターブのジャンプでいかに音を滑らかに繋ぐか。前の音の余韻を残しながら、しかも途中の音を出さずに次の高音のミにつなげるために、弓をいったん止めることで対処している。これで正解かどうか分からないが。
さて、次は同じ5番のアレグロだなぁ。暑いからぼちぼちやろう。
「戦争法案」が15日にも衆議院で採決されようとしている。国会前に駆けつけたいのだが、15日から出張の予定になった。この暑さで反対派の動員も少ないだろうと、安倍総理、そんなことを考えているのかも。
千住真理子が今年のデビュー40周年を記念して出したCD『平和への祈り~バッハ:無伴奏ヴァイオリン全曲』を聴いている。バッハのチェロとヴァイオリンのための2つの無伴奏曲集は、やはりバイブルだよね。
千住真理子さんは次のように思いを語っている。
[バッハ録音への思い]
演奏活動40年間の想い出は、確かに私の身体と音に刻み込まれている。デビューして以来、無我夢中で走り続けてきたこの期間、私には様々なドラマが降りかかってきた。
国内外のコンクールやそれにまつわる様々なハプニング、絶望や苦難、かと思えば人の優しさに触れ涙したこともある。
父の病死に続いた運命としか説明出来ないストラディバリウスとの出逢いと感動。
一番こたえたのは母の死である。末期ガンとの戦いは今まだ私の心に拭いきれない悔しさ、後悔と共にある。
だから、40周年、エンジンを全開にしてアクセルを思いっきりふみたい。
いま、私のすべてを聴いていただきたい。
――千住真理子
バッハが弾けなくなった時期が、私にはある。
10代の終わりから30歳になるまでだ。ずいぶん長い期間、私はあまりにも偉大なバッハに、あまりにも崇高なバッハに、押し潰されていた。
愛するあまり、受け止められない、そんな矛盾したバッハへの想い。
30歳を過ぎてから開かれた扉は、真摯に神に向き合う祈りの道だった。
だから私は祈る。バッハを弾くことは、祈ることなのである。私は祈り続けたいのだ。
まだなし得ない復興にくるしんでらっしゃるかたがたと共に。大切な人を突然奪われた悲しみから立ち上がれないでいるかたと共に。
海を越えて、貧困にあえいでる人々、戦争に巻き込まれてる人々と共に。私は平和を祈るために、バッハを弾く――。
――千住真理子
演奏も録音もすばらしい作品でした。