今日の一冊(8)『バカをつらぬくのだ!』

何とはなく具合が悪いので、病院に行くが、「どこも悪くありません」と言われ、「そんなはずはない」と、医者のはしごをする人って結構いますよね。何軒かの病院を回って、やっとそれなりの病名をつけてもらい、薬を投与されるとほっとする。そんな経験、ありませんか? もちろん、希な病気で医者が判断できない場合もあるでしょう。

私たちの身体は無自覚に、きらいな言葉すら欲しがっているように見えるときがあります。がんと言われれば頭の中が真っ白になる。その一方で、「やはりそうだったのか」とある意味で腑に落ちることもある。

人は褒められれば有頂天になるし、怒られれば心が乱れる。他人の一言に心が乱れるのは、私たちが欲深いからです。褒められれば、その期待に応えようと更に”欲”が出る、怒られれば”なにくそ”とまた欲が出る。

老子は道徳教第十三章でこのように言っています。

寵辱(ちょうじょく)には驚くが若(ごと)し。大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身の若くなればなり。何をか寵辱には驚くが若しと謂(い)う。寵を上と為(な)し、辱を下と為し、これを得るに驚くが若く、これを失うに驚くが若し。これを寵辱には驚くが若しと謂う。何をか大患を貴ぶこと身の若しと謂う。われに大患有る所以(ゆえん)の者は、われに身有るが為なり。われに身無きに及びては、われに何の患(わずら)い有らん。故(ゆえ)に身を以(も)って天下を為(おさ)むるより貴べば、若(すなわ)ち天下を托(たく)すべく、身を以って天下を為むるより愛すれば、若ち天下を寄(よ)すべし。

バカをつらぬくのだ! バカボンのパパと読む老子・実践編 (角川SSC新書)

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寵愛でも屈辱でも人は狂ったようになる。大きな患いを自分の身のごとく尊ぶからだ。寵愛と屈辱で狂ったようになるとはどういうことか。配下にある者は、寵愛を得てひどくのぼせる。それを失ったときには取り乱す。これが寵愛と屈辱で狂ったようになるということだ。

大きな患いを自分の身のごとく尊ぶとはどういうことか。我々に大きな患いがある理由は、我々が欲に満ちた身を有するからである。そのような身を有しなければ、なんの患いがあろうか。

それゆえに、自分の身を大事にしながら天下を治める者なら、その者にこそ、天下を預けるべきである。自分の身を愛おしみながら天下を治める者なら、その者にこそ天下を引き受けさせるべきである。

ドリアン助川さんの『バカをつらぬくのだ! バカボンのパパと読む老子・実践編』はこのように紹介している。

久しぶりに老子に関する本を読んだが、やはり老子はいい。以前に『バカボンのパパと読む「老子」』について書いたことがあるが、その実践編である。ドリアン助川さん、何を書いても売れずに、多摩川の土手横のおんぼろアパートで清貧の生活をしていたらしい。でもそれがいまの自分を育ててくれたのだという。

バカボンのパパと読む「老子」 (角川文庫)

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「がんの末期で余命半年です。」こんな言葉も”受け取らない”でよい。医者の言う「余命」は、生存期間中央値のこと。100人の患者がいて、51人目の患者が亡くなるまでの期間です。当然3ヶ月で亡くなる方もいれば、3年、5年と生きる方もいる。中には自然寛解といって、治癒してしまう方もいる。「私は統計の数字ではない、余命は返上します」で良いのだ。

何か言われるとカーとなって切れる人がいますね。ヤジを飛ばした安倍晋三さんのように。こういう人は自分自身さえも大事にできない人ですから、天下を治める器ではありません。と老子は言っているのです。政治は論戦です。論戦の果てに怒り顔になるような人は、もともと天下国家を治める資格がないのです。自分の心を平静に保てる方法を知っている人、そういう人に政治を預けなさいと言っているわけです。「まちがいありません。なぜなら私は総理大臣なのですから」こういう人物にはさっさと退場してもらった方がよろしい。

自分を飾ってはいけない。なぜなら、飾った分だけ安くなる。


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