今日の一冊(41)『がんとともに、自分らしく生きる』

ブログを書いている膵臓がんの方にも、強烈な副作用に耐えて抗がん剤を続けている方もいる。自分の価値観に従って、抗がん剤はしないという選択をした方もいる。抗がん剤は続けるけど、副作用が我慢できる範囲の低用量抗がん剤治療を選択した方もいる。

高野先生は、「あなたにとってプラスになるなら、抗がん剤を使えばいいし、あなたにとってマイナスになるなら、抗がん剤を使わなければいい、ただそれだけのことです。」と明快だ。「治療目標があって、それに近づけるなら抗がん剤を使えばいいし、それに逆行してしまうのなら、抗がん剤は使わないほうがいいわけです。」と。あなたにとっての治療目標はなんですか、それが大切ですと訴える。これからどう過ごしたいか、どのように生きていきたいか、という目標があって初めて、どういう治療が自分に必要なのかが見えてくるのです。

なかには、次の抗がん剤をやるためにも、今の抗がん剤の副作用に耐えているという、抗がん剤をやることが目的になってしまっている患者もいます。抗がん剤は、あくまでも治療目標を達成するための手段であるのに、手段がいつのまにか目的になってしまっている方もいる。

これからどう過ごしたいか、どのように生きていきたいか、という目標があって初めて、どういう治療が自分に必要なのかを考えるべきではないでしょうか。

抗がん剤は「苦痛に耐えて受けなければいけない治療」と思われがちですが、本来は、患者さんの苦痛をやわらげて、元気を取り戻すためにあるものです。その意味では抗がん剤は緩和医療のひとつでもあるのです。

「がん診療レジデントマニュアル」という研修医向けの本には、抗がん剤の使用目的は「がんの存在による自覚症状の緩和、生活の質(QOL)の改善が大きな目的となる」と書かれています。がんを治すことが主要な目的ではないのです。再発・転移したがんに対する抗がん剤は、延命効果と生活の質(QOL)の改善のためだということです。

膵臓がんに使うことのできる抗がん剤は、現在5種類です。乳がんなどの比べて使える抗がん剤が少ない、それがドラッグ・ラグだというので、海外で使えて国内では使えない抗がん剤の早期承認が待たれています。もちろん大事なことです。その解消のためにも混合診療がもっと簡単に使えるようにとの意見もあります。でも、私はこれには反対です。

「まだ使える抗がん剤がある、それが希望だ」は本当でしょうか。しかし、いずれその抗がん剤も効果がないときが来ます。そのときには「絶望しかない」のでしょうか。新しい抗がん剤を使うことが”希望”だというのなら、それは”絶望”の先延ばしに過ぎないでしょう。

高野先生は、「いま受けられる治療から、最大限の効果を引き出す努力をしつつ、その限界も知ったうえで、いまある治療を受けられることに感謝し、治療だけでは得られないような、本当の「幸せ」に目を向けていくことが重要なのではないでしょうか」と言います。

次の抗がん剤治療を受けるために元気になりたい。治療のための治療を繰り返すのは、抗がん剤が”希望”になっているからでしょう。希望はそんなところにあるのではない。抗がん剤がすべてだと思いつめすぎると、見えなくなってしまうこともあります。これからの時間で、いちばん大切なものは何か、そのためにできることは何か。その答えは、『抗がん剤』ではありません。

『もっと人生全体を見渡して、「感謝」や「幸せ」を感じることができたら、それは、治療の進歩以上に価値があることですし、それを支えるのが、本当の医療なのだと思います』と言う先生は、「本当の希望」とは何かと問われて、

「これが『希望』です」と言ってお渡しできるものがあればいいのかもしれませんが、本当の希望というのは、そうやって、誰かから与えてもらうものではなく、もともと、すべての人が普通に持っているものだと私は思っています。

家族やまわりの人々とのつながり、日々の生活の中でのささやかな出来事、そして、いま生きているということ。そういうなかに、一人ひとりが希望を見出すことができるのではないでしょうか。

「患者にとっての『希望』は、病気が治ること」という方も多くおられますが、そうやって、「治ること」だけが希望だと決めつけると、治らないという現実に、希望は見出せなくなってしまいます。

病気になっていつか死を迎えるという現実のなかでも、人間は「希望」を見つけることができる、というのが、私が多くの患者さんと接するなかで教わってきたことです。

「もう希望はない」と思う前に、希望と思ってすがりついていたものが本当の希望だったのかを考え、より身近なところ、あるいは、より広い視界を見渡してみるといいのかもしれません。

医者なのに、希望を与えようとせず、それを自分で探せというのは無責任だと言われるかもしれません。

でも、「これが『希望』です」と言って、見せかけの希望である「ワラ」を手渡すほうが無責任だという気がします。

パッチ・アダムスをご存じでしょうか。『パッチ・アダムスと夢の病院―患者のための真実の医療を探し求めて』と言う本で紹介された実在するお医者さんです。映画にもなりDVDも出ています。

パッチ・アダムスと夢の病院―患者のための真実の医療を探し求めて

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パッチ アダムス, モーリーン マイランダー
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1998年に公開された、ロビン・ウィリアムス主演の映画でした。1945年生まれのパッチは、70歳を越えた今も、世界中をかけまわり、ピエロの扮装で病院を訪れる「ホスピタルクラウン」の活動や、講演活動などを精力的に行っています。

映画でも、死期を察してふさぎ込んでいる末期の膵臓がん患者の部屋にピエロの扮装で現れて、(確か部屋を風船でいっぱいにしたのだった–うろ覚え)最後にはその患者を大笑いさせるシーンがありました。

そのパッチの言葉として、次のように紹介しています。

パッチは、「Health is based on happiness.」(健康とは、幸せであるかどうかで決まる)と言っています。

「健康」とは何かと聞かれれば、多くの人は「病気でないこと」と答えますが、パッチは、その考え方を否定します。

健康というのは、病気であるかどうかとは関係なく、病気でなくても、その人が幸せでなければ、健康とは言えません。逆に、病気であっても、その人が幸せであれば、健康だとパッチは言います。

病気であろうとなかろうと、誰もが幸せになることができるし、それが本当の意味での健康だということです。

真の医療というのは、人を幸せにすることを通じて、真の健康をもたらします。

「治らない病気を抱えた患者さんに、幸せを感じてもらうには、どうしたらいいだろう」という問いに対して、パッチの答えは明快でした。

「まず、君自身が幸せになること。そして、誰もが幸せになれると心から信じることだよ。それから、同じ想いを持つ仲間と一緒に、楽しく、愛に満ちた、創造的な環境をつくればいい」 「がんの患者さんでも、幸せに過ごしている人はたくさんいる。そういう患者さんと語り合えば、何が彼らを幸せにしているか見えてくるはずだ」

がんという病気は、考え方次第で、扉を開くものにもなりうるし、扉を閉ざすものにもなりうる。誰もが自分の意志で、幸せになることを選択できる。自分の命はあと何日しかないと数えるよりも、『今日も私は生きている』と毎日を祝福して生きたほうがいい」 「死は敗北なんかではない。医療に勝ち負けがあるとしたら、勝利とは、最後までその人を愛しぬくこと。『生きるのは悲惨だ、誰も私を愛してくれない』と嘆かれたとしたら、それは医療の敗北だろう。

長々と引用しましたが、私流に言えば、「治ることだけに希望を見出す」のは、希望ではなく執着です。欲あるいは煩悩と言っても良い。抗がん剤が効いているのなら、続ければ良い。治らなくても、上手にがんと共存して10年、20年と生きられるでしょう。効果がないのに我慢して続けるのは執着しているからです。

執着・欲に囚われているかぎりは、人生を豊かに生きることは難しい。「もっと生きたい」も執着です。命には限りがあり、その長短はあれども、与えられた時間を精いっぱい生きることだけが人間にできることです。

治ったら何をしたいのですか? どういう風に生きたいのですか? だったら、今この時からそのようにし、そのように生きれば良いのではないですか? 愛こそが希望なのです。

がんとは闘え、死とは闘うな

なんとかなるものは、なんとかする
なんともならないものは、成り行きに任せる

ブログ「がん治療の虚実」のsho先生も、この本について書いておられます。
有用書籍の紹介: 「がんとともに、自分らしく生きる」 高野 利実 (著)

 
 

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