『サイレント・ブレス』を読んで

サイレント・ブレス 看取りのカルテ (幻冬舎文庫)

サイレント・ブレス 看取りのカルテ (幻冬舎文庫)

南 杏子
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『サイレント・ブレス』の作者南杏子さん(ペンネーム)は都内の終末期医療専門病院に勤める現役の内科医師で、この小説がデビュー作です。この病院では、末期の患者にはタバコもアルコールも夜更かしも制限なしだそうです。

サイレント・ブレス」とは
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。人生の最終末を大切にするための医療は、ひとりひとりのサイレント・ブレスを守る医療だと思うのです。

と著者が語るように、治すための医療だけで本当に患者は幸せなのか、人はどのようにして死を受け入れるのか、あるいは受け入れることができないのか。親を介護している家族、あるいは自分自身がまもなくそうした問題に対処せざるを得なくなるがん患者にとっては、重く切実な問題です。小説という形でリアルに説得力を持って訴えてきます。

大学病院の総合診療科から都内三鷹の訪問クリニックへの異動を命じられた水戸倫子は「左遷」かと意気消沈して、それでもクリニックでの勤めを始める。

「私、医者なんて全然信じてないから」と言い放つ末期乳がんの女性ジャーナリスト綾子。彼女はかつてキューブラー・ロスの『死の受容』への五段階、否認と孤立・怒り・取引き・抑うつ・受容を翻訳したことがあり、自分もそういう段階を踏むはずだと考えていた。しかし、「あんなに上手くいくものではなかった」と綾子は言う。

綾子の元には革ジャンを着てヘルメットを持ったスキン・ヘッドの怪しげな男が頻繁に出入りしている。一緒に外泊もしたりする。倫子も家族も不信感を募らせているのだが・・・。

綾子がいよいよ最期かと思われたとき現れたそのスキン・ヘッドの男は、実は臨床宗教師で、キューブラー・ロスの『死の受容』によっても受容できない綾子が、「家族に知られないように変装してくるように」と依頼した住職だったのです。住職との対話によって綾子はおのれの死をなんとか受容しようとする。

綾子の臨終に際してスキンヘッドの日高住職は「臨終勤行」を執り行います。

仏教の教えには死への苦悩の対処として、まず「死に至る原因と闘う」段階があり、それが無理なら「死を受容する」段階へ移るという。さらにそれも困難なときは臨床宗教師に導いてもらい、「受容できない自分を受容する」ことによって真の心の安寧が得られると説明されていた。

22歳の筋ジストロフィー患者の保は、母子家庭である。介護に疲れた母親が保を捨てて失踪する。しかし、保はその母親を許し、自らの死をも素直に受け入れている。

倫子が研修医時代の病院長であった権堂勲は、消化器がんで著名な外科医であった。わずかでも治る可能性があれば積極的に手術に臨み、多くの医師にとっても最後の砦であった。『諦めないガン治療』等の著作もあったその権堂が、ステージⅣの膵臓がんと診断される。「医者は自分の専門分野のがんになる」というジンクスそのものである。しかも緩和医療も受けない「完全な医療拒否」を宣言し、死亡診断書だけ書けば良いと倫子を指名したのである。周囲は唖然とするが、権堂は意に介さない。

その権堂が「もう少し生きてみようかな」と治療を受けるようになり、いぶかしがる倫子らを連れて、大井競馬場、とげ抜き地蔵、多摩動物公園に出かけて誰かと会おうとする。実は権堂は、過去に自分が手術して20年以上生存している”スーパー長期生存者”を訪ねて、世間に報告することを最後の自分の役割と考えての行動だった。その一部始終は週刊誌に掲載され、権堂はそのインタビューの中で、

医療にはおのずと限界があるが、多くの医師は闘いをやめることを敗北と勘違いしている。ところが、闘うだけではいずれ立ちゆかなくなる瞬間が来る。そのときに求められるのは別の医療だ。死までの残された時間、ゆったりと寄り添うような治療がいかに大切かを私は身をもって知った。

と語る。

大河内教授の「医師には二種類いる。死ぬ患者に関心のある医師と、そうでない医師だ」「死ぬ人をね。愛してあげようよ」「治らないと分かったとたんに患者に関心を失う。しかし放り出すわけにもいかないから、ずるずると中途半端な治療を続けて、結局病院のベッドで苦しめるばかりになる」

すとんと胸に落ちる言葉だと思うのは、私ががん患者だからだろう。私自身も両親と義父を介護した経験がある。自分の父親のときは、肝硬変から肝臓がんになったのだが、介護保険もない時代で私も若くて二十歳台だった。自宅での10年もの介護は、本当に先の見えない長くて暗い時間だった。

老後は自宅での介護が理想だといい、政府もそれを推進しようとしているが、本当にその体制があるのだろうか。著者も香山リカ氏との対談(こちらこちら)で、

「病院死」よりも「在宅死」のほうが正しい、好ましいとしても、家族にとっては負担が大きい。誰もがそれを実行できるわけではないと思うからなんです。

何年間も在宅で看ていると、やはり家族が疲弊しきってしまいます。ご本人やご家族が在宅を望み、それができる環境ならばいいとも思いますが、それ以外の選択肢として、最期のときを笑顔で安らかに過ごせる、信頼できる病院が理想なのかなと思います。

実感としてその通りだと思う。子どもたちには私と同じ思いはさせたくはないから、私は主治医に「先生、膵臓がんが再発・転移したら積極的な治療はしません。経過観察と苦痛を取ってくれるだけで良いですから」と言い続けてきた。そのときが来ないで10年経ってしまったが。

グループマンの『決められない患者たち』にも書かれていたが、終末期における事前指示書(リビング・ウィル)が必ずしも役にたつとは限らない。「治療効果がないと思われるとき、死期が近いと思われるとき」と書いたって、そこにはグレーソーンが存在する。なにを持って治療効果がないと判断するのか、そもそも治療効果って何か。医師も家族もグレーゾーンの中で決断できず、ずるずるとムダな延命治療をすることになりがちである。

幸いなことに、膵臓がんは最期も「足が速い」。運が良ければベッドで寝たきりになるのは数週間くらいだ。この程度なら、もしかすると在宅介護でもいけるかもしれない。ブログでも実際にそうした膵臓がん患者が何人もいた。

  • いずれ何かで死ぬのなら、がんで死ぬのは決して悪い「何か」ではない。
  • 治りたがる患者が、必ずしも幸福になるとは限らない。

わずかな延命効果しかない抗がん剤にいつまでも「奇跡」を期待することはない。もういちど「やめどき」を考えてみることも大切です。医療に唯一の正解はないが、結局最後は「患者が何を望むのか」ってことです。


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