今日の一冊(104)「<いのち>とがん」坂井律子

“絶体絶命”の状況を人はいかに生き得るのか。突然の膵臓がん宣告、生きるための治療選択、届かぬ患者の声、死の恐怖。患者となって初めて実感した〈いのち〉の問題を、赤裸々に真摯に哲学する。

本のカバーには上のように書かれています。

〈いのち〉とがん: 患者となって考えたこと (岩波新書)

〈いのち〉とがん: 患者となって考えたこと (岩波新書)

坂井 律子
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膵臓がんの宣告、再発、再々発

坂井律子さんは、NHKのディレクター、プロジューサーとして、福祉、医療、教育などの番組製作に関わってきた方です。

その彼女が膵臓がんを宣告されます。逆流性食道炎だと思っていたのが、黄疸が見つかり、精密検査の結果、膵臓がんが確定したのです。

頭の中が真っ白になるようなことはなかったのですが、

「来てしまった。だが、思っていたより随分早い」

彼女の家系はがん家系なので、いずれ、自分もきっとがんで死ぬだろうと覚悟はしていたそうです。しかし、よりによって膵臓がんとは。

これはマズイ。ますますマズイ。相当マズイ事態である

腫瘍は膵頭部にあり、リンパ節へも転移していますが、東大病院の肝胆膵外科の坂本先生のもとで膵頭十二指腸切除術を受けます。

術後の再発が一番気になりながら、術後抗がん剤治療としてTS-1を始めます。激しい下痢に悩まされながらも、治療法を探し、熱心に情報を集めるのです。

”絶体絶命”から生還することに疑いを持っていなかった彼女は、「集学的治療」を、奇跡的な生還を果たした「アポロ13」に例えます。

私は、集学的治療において主治医は、数々の情報をさばき、取捨選択をし、決して諦めない管制官なのだと思う。そして患者の方も、治療で何が行われようとしているのか、患者にできることは何か、暗闇でなお目を凝らす努力が必要なのだと思う。

と書いています。

がん治療は、一つの正解だけがある世界ではありません。医療者が、患者の具体的な状況に合わせて治療を考えてくれているのであれば、患者もまた、「絶体絶命」の病気と向き合う生活を支えるためには「考える」ことです。

手術後の経過も良好で、職場復帰を考えていたころ、肝臓への転移が見つかります。そしてアブラキサンとジェムザールで肝臓へ転移した腫瘍を小さくして再手術を目指すことになります。それもうまくいきました。

しかし、肝臓にできた腫瘍は切除できましたが、その後また肝臓とリンパ節への多発転移が見つかります。再々発転移です。

味覚障害などの副作用に苦しんだ彼女は、立花隆が、ニュートリノに質量があることを発見した物理学者である戸塚洋二氏のことを紹介した本『がんと闘った科学者の記録』を取りあげて、「我々にとって本当に必要なのは、しっかりと整理され、検索が体系的にできる、”患者さんの体験”なのです」と言います。

戸塚氏は「空腹時の方が気持ちが悪い。食べた後の方が気持ち悪さがなくなる。これも胃内の分泌物を取り去る効果かもしれない」と記述していますが、これを読んで、空腹時に気持ち悪くても、何とか食べるようにした。その方が確かに良かった。と彼女の実体験を述べています。

戸塚洋二さんについては、このブログで紹介したことがあります。

もっとディテールのある情報を

  • なんといっても銀シャリと肉!野菜はその後でいい
  • 寝る前にカップ焼きそばを食べるくらいカロリーを摂れ
  • 消化剤は食後でなく、食事中に食べるように飲め (これはリパクレオンのこと)

とアドバイスをします。消化器の癌である膵臓がん患者にとっては、「食べること」はとてつもなく大きな課題です。

手術や、化学療法スタート時の退院指導の中には「栄養相談」も用意されているが、その内容は、

  • 食べられない時は食べたい時に食べたいものを少しずつ
  • 主食、主菜、副菜をバランスよく
  • 特にタンパク質は毎食摂る
  • どうしても食べられない時は、高栄養ドリンクが処方できる

というものであるが、「実際に家に帰って、下痢や食欲不振、便秘や味覚障害に襲われ始めると、このようなざっくりした指導はほとんど役に立たなかった」として、

普通の食事と栄養ドリンクの間のことが知りたい。その具体的工夫のディテールが知りたいのである。例えば卵はどうやって食べれば下痢を引き起こさないのか、生卵か、ゆで卵か、卵焼きか、半熟か固茹でか。そうしたディテールのある情報が欲しいのである。

こうした彼女にとって最も救われたのは一冊のレシピ集だった。

それは、静岡県立静岡がんセンターと日本大学短期大学部食物栄養学科が編集した『抗がん剤・放射線治療と食事のくふう』だったという。

彼女はこのレシピ集を参考にしてからは、抗がん剤治療を受けながらも、体重をやや増やすことができて感謝している。

リピートしづらい「がん相談支援センター」

「がん相談支援センター」は、その定義から、ワンストップで、がん患者の多様な相談に応じることになっている場所だと思っていたという彼女は、実際に体験してみるが、

残念ながら、リピートしたいとは思えなかった。古ぼけた扉には味気ない看板だけがかかっており、中はうかがい知ることができない。その扉押すと、さらに暗い部屋があり、奥まった相談室には全く窓がなかった。各種のパンフレット、ウィッグや帽子などの見方、レシピ本や雑誌のがん特集号など、手に取りたくなるような情報源も用意されていなかった。専門の相談員がいても、そこは快い雰囲気の場所ではなく、情報に満ちた場所でもないのだった。

と手厳しい。確かに、「がん相談支援センター」は患者が来るのを「待っているだけ」です。もっと外に出る「営業」をしても良いのではなかろうか。

「死の受容」の嘘っぽさ

キューブラー・ロスの「死の受容」について、目にしたときからずっと納得できなかったという彼女は、自分の死について、

心穏やかに死を受け入れる、そのことが結果的に最後の日々穏やかなものにして人生を豊かに閉じていくことができる。これもがん患者のためを思ってのメッセージなのだと思う。

だが、私は、自分がこのような死を間近にした病状を抱えている今、死は別に受容しなくてもいいのではないかと思っている。

受け入れなければ穏やかになれないというものでもない。死はそこにある。そして思わないでいいと、考えなくていいと言われても、考えてしまい、思ってしまう存在なのだろうと思う。

だからこそ、怖くて考えたくなくて、消えて欲しい、その存在が消えて欲しい。けれども、そこにあるまま、そして、受け入れることができないまま、それでもいいのではないかと思って、最後まで生きるしかないのではないだろうか。当たり前のことだけれど、人は死ぬまで生き続ける、だから、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいのだと思う。

「私は、言葉に力を得て、病気と向き合えたことを改めて感謝しながら、まださらに生きていきたいと思っている」と、2018年11月4日の日付で書いた彼女は、未完の原稿を残して、2018年11月26日に亡くなりました。ご冥福をお祈りします。


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