新刊・近藤誠『抗がん剤は効かない』


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抗がん剤は効かない近藤誠氏の新しい本

近藤誠氏が新しい本を出した。2011年1月号の文藝春秋に載せられた「抗がん剤は効かない」、翌2月号での立花隆氏との対談「抗がん剤は効かないのか」を収録するとともに、文藝春秋誌上では触れられていなかった図や、より詳細な説明が加えられている。患者の事後調査を手抜きすることで、打ち切り例がカプラン・マイヤー曲線に対してどのように影響するか、全生存率にどのような作為が可能かという点も詳しく説明されている。

また、週刊文春に「『抗がん剤は効かない』は本当か!?」と題して、勝俣範之・国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長と上野直人・テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授の、近藤氏の記事に対する反論への再反論も収録されている。

彼の前著『あなたの癌は、がんもどき』に新たに付け加えられたものは少ないが、読んでみて、上野直人氏らへの反論も十分に納得できる内容と思われる。近藤氏のがんもどき理論には複雑系思考がない、とする私の考えは以前の記事『近藤誠氏の「がんもどき」を考える』に書いたのでここでは触れないが、”統計的な論理の範囲内”で考えるのなら、彼の主張はほとんど正しいと思う。

実際にがん患者である我々は、彼の説明を納得したとして、どのように意志決定すれば良いのだろうか。近藤氏の結論ははっきりしている。ひと言で言えば「がんは末期発見が望ましい」ということである。しかし、すべてのがん患者が抗がん剤を拒否することは、相当難しいに違いない。抗がん剤が効かないにしても、では休眠療法、梅澤充医師の低用量抗がん剤治療はどうだろうかと考えたくなる。そう思いながら読み進めていたら、梅澤充医師の名前を挙げて批判している。少し長くなるがその部分を引用してみる。

 腫瘤縮小を強調するのではなく、もう少しもっともらしい言い方もあります。

梅澤充大塚北口診療所腫瘍外来医師は、抗がん剤を投与した百人(Aグループ)と投与しない百人(Bグループ)を比べた場合、「3年後、Aグループ100人のうち、生きているのは80人、Bグループは70人です。(中略)つまり抗がん剤の効果は、その程度の差でしかない」と語ります(「週刊現代」2011年1月29日号)。

彼が例として挙げた抗がん剤はエスワンで、「80人」「70人」というのも、(薬効確認のための)臨床試験結果から抽出した数値でしょう。ところがその試験は、私が「効かない論文」において理由を挙げて信用できないとしたものです(24頁参照)。とすれば「週刊現代」の批判記事において梅澤氏が真っ先になすべきは、私が挙げた理由に反論し、エスワンの延命効果を示すことでした。それに成功してから、エスワン臨床試験結果を引いて、「80人」「70人」と語ることが許されるはずで、それが論争作法というものです。

梅澤氏が、「しっかり経過を見て、副作用が出ない程度に最低量だけ使う。そうやって薬の種類と量をこまめに調整すれば、8割以上のがんはコントロールできます」(「週刊現代」)と語るのも意味不明。
なぜかというと第一に、抗がん剤の種類と量の合理的な調整方法は、どういう専門家にとっても未知だからです。あるいは氏の個人的経験によるのでしょうか。しかし、漢方のような、個々の医者の単なる経験主義から脱却しようというのが、現代医学の出発点であったはずです。

第二には、「がんがコントロールできる」というけれども、「コントロール」の意味が分からない。「腫瘤の縮小」より、もっと曖昧模糊としています。そして標準量でも一~二割で腫瘤が縮小したら上々という抗がん剤の実力に鑑みると、それより少ない「最低量」で八割がコントロールできるという氏の発言は、途方もない大言壮語としか聞こえない。ーーでも患者や家族は、こういう甘言に弱いのでしょうね。ころりと騙される。

結局梅澤氏は、「抗がん剤の効果は、その程度の差でしかない」と、謙遜というか、アンチ抗がん剤のようなふりをしながら、抗がん剤治療を推進している。彼のもっともらしい言い方は、患者・家族が「その程度の差」はあるように受け取ってしまう点で、社会に垂れ流す害悪が大きいのです。

そして梅澤氏の方法でも毒性がある。たとえ「最低量」の使用でも、抗がん剤に毒性があることは変らない。毒の特性として、使えば使うほど、体内に毒性が蓄積し、増大します。ただ、患者が体感する副作用は弱いでしょう。しかし副作用が弱いという、まさにそのことが患者・家族を安心させ、抗がん剤の長期使用に走らせ、水面下で毒性が著しく増大する結果を招きがちなのです。「最低量」使用には、通常量の使用に比べ、毒性が最大化する危険があると知るべきです。
「がん休眠療法」等と銘打った、抗がん剤少量・長期投与法にも、梅澤氏の方法と同じ問題点があります。患者・家族は注意してください。
(85~87ページ)

相当にきつい批判だ。梅澤医師がどのように再反論するだろうか。近藤氏は統計的なエビデンスに基づいた議論をしているのだが、梅澤医師は現在の標準的抗がん剤治療は患者の個性を無視した画一的なエビデンス至上主義だと批判し、患者個人毎のテーラー・メイド抗がん剤治療を行なっているのだと言っているのであるから、議論がかみ合うはずがない。個人毎に抗がん剤の投与量を変えるだから統計的な処理になじまない。梅澤医師でなくても、患者の体調が悪ければ抗がん剤の投与量を減らしている医師はいるが、量や回数を変更すればエビデンスが無くなるではないか。「個々の医者の単なる経験主義から脱却しようというのが、現代医学の出発点であった」のは確かだが、いまではその弱点が明らかになり、がん治療においてテーラー・メイド治療が叫ばれていることは近藤氏も知っているはずではないか。

統計的に生存期間にわずかの違いしかない場合でも、ではこの私という個人にとってはどうなのか、これは近藤氏も言うように「分からない」。例えば下の図のような生存率曲線の抗がん剤があったとして(近藤氏の本から借りてきた)、支持療法だけなら10ヶ月の生存期間だった患者が、抗がん剤を投与すると横に平衡移動して12ヶ月の生存期間になるわけではない(Aの矢印)。全員が平行移動すると考えると、予想に反して長生きしたり短命の患者がいることの説明がつかない。もちろん、一人の患者が両方の治療法をやることは不可能だから本当のところは分からない。しかし、近藤氏の言うように、抗がん剤で命を縮めている患者がいるのなら、抗がん剤で命を伸ばしている患者がいなければつじつまが合わないはずである。だから、本当に自分の寿命が延びたのかどうかを実感することはできないけれども、Cの矢印のように”本来なら”11ヶ月の余命のはずが20ヶ月生存している患者がいる一方で、Bの矢印のように”本来なら”10ヶ月の余命のはずが、抗がん剤の毒性で6ヶ月に寿命を縮めた患者がいるはずである。損得勘定を合計すれば、無治療と差がないことになるのだろう。

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問題は、抗がん剤をやってみるまでは分からない、効果があっても実感できない、ということである。寿命を延ばした例と縮めた例が合計され、無治療とたいした違いがなくなるのだと、近藤氏も書いている。そして、我々がん患者には自分がCになるのか、Bになるのかを知るすべがない。

近藤氏の説明はほぼ正しいと思う。しかし、(すべての抗がん剤や手術を拒否するなら役立つが)患者の意志決定には使えない。すい臓がんの私が、近藤氏の言うように手術を拒否していたら、いま生きているとは思えない。がん遺伝子によって患者の寿命が決まっているという論理は、決定論的思考である。各要素は決定論的に振る舞うが、それらが多数集まって、相互に関連している複雑系においては、将来の予測は不可能なのであり、がんも生命も複雑系である。

EBMの道具箱 第2版 (EBMライブラリー)梅澤医師は、町工場の職人のように、永年の勘と経験で対処しようとしているのである。これは近藤氏の言うように「エビデンスを無視した医療」ではない。近藤氏こそ「P値」の呪縛に捕らわれているのではなかろうか。(P値:統計的有意差を表わす指標)標準偏差の3倍までは許容範囲として、その中で患者にとって何が必要であるかを考えるのが医療であろう。医療は科学ではなく、技術あるいは芸術に近い。蒲田の町工場の職人は、指先で1/1000ミリを判断するという。そこにはトレーサビリティのあるマイクロメータがあっても役にはたたない。最先端の技術を支えているのは職人の経験と勘である。梅澤医師も手探りでCの矢印を探しているのに違いない。医療においては、相手が人間という複雑系だからそうならざるを得ないのである。

穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点 結局は、これまでのエビデンスを承知した上で、副作用と、もしかしたら少しは長生きできるのではないかという幸運を天秤にかけて、その人の人生観・価値観にしたがって決めるほかないのである。診療に関わる決断をするときに、「目の前の患者にどの程度役立つものか?、患者の価値観や目的に合うものか? 費用対効果はどうか?」がEBMにおいても重要だと『EBMの道具箱』にも書かれている。

中田力氏がこんなことを言っている。

医療における不確定性は、複雑系のもたらす予想不可能な行動に由来し、実際にやってみないと結論が出せないことで満ちている。そして、やってみた結果が予想と反することなど日常茶飯事である。

それでも、現実的には、病に悩む人々に複雑系の理論を説いて納得を促すことは無理である。現場の臨床医は神に尋ねることも許されず、医学にすべてを委ねるわけにもいかず、不確定さを理解した上で、患者の選択すべき道を決定論的に示さなければならない。もっとも適切な選択は経験則だけが教えてくれる。しかし、それが必ず良い結果を生むとは限らない。だからこそ医療は、医師と患者との間に、ある種の盲目的な信頼関係がなければ成り立たないのである。

医師は神であってはならない。しかし、同時に、単なる人間であってもその責務は果たせないのである。(中田力『穆如清風-複雑系と医療の原点』より)

がん細胞の遺伝子がすべてを決めているから何をしてもむだだというような、決定論的・線形思考を、私は採用しない。しかし、再発・転移しても抗がん剤を使用するつもりはない。戸塚洋二氏のように、皮膚も身体もぼろぼろになるまで抗がん剤をやる勇気が、私にはないだけである。低用量抗がん剤治療はオプションとして残しておくが、無治療を選択するつもりではいる。だから結果的に近藤氏の推奨する方法を選択することにはなるだろうが、それは私の価値観から導かれる結論であって、「がんもどき理論」を信用しているからではない。今の私の関心事は、複雑系としての自分の身体に対して、がんを再発・転移をさせないために力を注ぐことである。

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新刊・近藤誠『抗がん剤は効かない』” に対して1件のコメントがあります。

  1. 平田陽三 平田病院 より:

    最近になって日本の癌学界でも癌組織体の根源細胞である癌の幹細胞の存在が注目され始めました。癌の幹細胞に関する研究が進展すれば、将来の癌研究や癌治療に重大な転機を齎すものと期待されます。小生は1992年以来、癌の幹細胞に対処する治療概念、すなわち、今までにない全く新しい治療概念を記載した論文17篇を国際的な医学雑誌に発表しています、それらの論文資料にご関心のある方には、個人的に無料で郵送致しますので郵送できる宛先をお知らせ下さい。
     猶”がん幹細胞”の項目でGoogle検索してみてください、誤った理論もありますが参考になると思います。
                  780-0870 高知市 本町 5-4-23 平田病院 平田陽三

  2. ヤマツー より:

    こんばんは。
    私は4月の名古屋での講演を拝聴させていただいたものです。
    私自身は腎盂癌で腎臓を摘出しています。
    講演の内容も感銘を受けましたが、今日のブログの内容も大変興味深いものでした。
    近藤氏の持論はずっと以前に雑誌で読んだことがあり、とても明快で分かりやすく、そしてきっと正しいだろうと、その考えを支持していました。
    しかし、自分が癌になってみると、やはり近藤氏の考えどおりに意思決定することなど到底できず、ごく普通の治療をして現在に至っています。
    ただ、近藤氏の持論を否定したわけではなく、その考えはやはり基本的に正しいと、今でも思っています。
    というより、理論的に否定する知識がないので否定したくてもできない、という感じでしょうか。
    近藤氏の持論に対して、考え方としては支持するが、自分のがん治療に於いてはそれを無視する。というのが私の取ってきた態度です。それで自分を責めるほど真面目な人間ではないので別に悩んだりはしてないのですが、やはりこの矛盾を自分の中で整理しておきたい、という思いはありました。
    その方法がさっぱりわからなかったのですが、今日のこのブログの記事を読んで、それがわかったような気がします。
    それと、講演の時は今ひとつ理解できなかった複雑系というものも、少し分かってきたように思えます。
    ありがとうございました。

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