エビデンスは誤解されている
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ガイドラインはエビデンス(科学的な根拠)ではない
UMSオンコロジークリニックに「私たちが治療のガイドラインを重要視しない理由」という文章がアップされています。
UMSオンコロジークリニックは日本におけるピンポイント放射線治療の先駆者であり、植松稔先生がいくつかの著作で紹介されています。筑紫哲也さんも肺がんの末期にここで治療を行っているが、すでに効果が出るには治療が遅すぎたようです。私も植松先生のサードオピニオンを受けたことがあります。こちら。
「私たちが治療のガイドラインを重要視しない理由」には次のように書かれています。
どうして薬が良く効く人と、ぜんぜん効かない人がいるのか、その理由はなんでしょうか。
実は答えは簡単です。ひとり一人のがん細胞の遺伝子は、その一部分が違っている可能性が高いからです。薬が効きやすいかどうか、転移しやすい性質を持っているかどうか、すべてがん細胞の遺伝子で決まるわけですが、現代の医学では複雑な遺伝子の仕組みの解明には、まだまだ遠く及びません。
最近の基礎医学の研究では、一人の患者さんの、一つのがんの塊の中にさえ、複数の遺伝子パターンを持ったがん細胞が混在していることが当たり前のように確認されています。本人の中だけでも一様ではないのですから、ましてや他人のがんと自分のがんがまったく同じ構造であったら、むしろ不思議なくらいなのです。
ガイドラインというのは一定のグループの患者さんたちを一まとめにして、同一の治療方針を当てはめようとする行為ですが、ある人にとって望ましい治療法が別の人にとっては不適切である、ということが現実にはたくさん起きています。そして、それは上述のように、がん細胞の遺伝子が様々であることに起因していると気がつけば、むしろ当然の結果だと考えられます。だから、ガイドラインに個々の患者さんを当てはめるような発想は、そもそも理にかなっていないのです。(一部を抜粋)
膵臓がんは一種類ではない
膵癌には5つの種類(より小さい分類では20数種類とも)があり、中でも膵癌の90%を占めるのが、浸潤性膵管癌(通常膵癌)です。同じ浸潤性膵管癌であっても、できる部位によってまた性格が違います。部位が同じであっても患者によってがん細胞の性格が違うのです。同じ患者の腫瘍であっても、がん細胞ごとに遺伝子の変異パターンが違うということです。だから抗がん剤が効きやすい患者もいるし、効きにくい患者もいる。ひとりの患者の腫瘍においても、抗がん剤が効きやすいがん細胞もあれば、抗がん剤が効きにくい細胞もあるという、まことに『がんは人それぞれ』です。
エビデンス(科学的な根拠)と経験と勘
エビデンス(科学的な根拠)に基づきながらも、エビデンスを超えた医療が本来の医療でしょう。有り体に言えば「経験と勘」が大事だということ。言葉では表せないが「治療法がわかる」、この患者にはこれしかないと「パターンマッチングのように決定できる」ということです。
ガイドラインに書かれたままの抗がん剤を投与するだけなら医師免許など要らないし、ロボットで代用すれば良い。マニュアル通りに治療するだけなら、ケンタッキーフライドチキンのうアルバイト店員と変わらない。
内田樹氏が「直感と医療について」でこんなことを書いている。
現在の学校教育でも、職業教育でも、「何かが起きているような気がするのだが、それをエビデンスによって示すことができないことがら」に対するセンサーの感度をどうやって高めるかという教育的課題に真剣に取り組んでいる人はまれである。
ところが、やはり、そういう人たちがいるのである。
医療の現場というのは、「人間の身体という生もの」を扱っているために、経験知が理論知に優先することがある。なぜそれがわかるのか説明できないが、わかる。
なぜそれができるのか説明できないが、できる。
そういった経験知なしには、医療の現場は成り立たない。
ナースというのは、そういう仕事をしている人たちである。生老病死が人にとって避けがたい事態であるかぎり、日常は常に非日常と背中あわせです。看護は、健康にまつわる日常的営みが職業として特化されていったときに専門性という非日常的営みを獲得する必要性に迫られました。
従って、非日常という専門性が学問という形に昇華され、体系化されたとしても、それが実践に移される時には再度人々の日常に戻されることが必要です。このことは、大震災での非日常と日常の関係と同じ構図です。
「エビデンスがなくても、現場のナースには直感的にわかることがある」という話を聴いても、私はすこしも不思議に思わない。
ナースの仕事について書いているのですが、むしろ医者の仕事にこそ同じことが言えるはずです。エビデンス(科学的な根拠)による治療を行なったが、効果がなかった。では治療を止めるのか? 「これ以上治療法はありません」と放り出して「後は緩和医療、ホスピスを考えてください」というのが、がん研究センターを中心とする標準治療オンリーの考え方です。効果のある可能性を経験と直感から探し出すのが在宅医家、町医者の仕事。ここからが本当の医療です。
統計は、わずかの違いしかないときに相手を説得するツール
エビデンス(科学的な根拠)に統計はつきものですが、ある事象に関して統計的手法を使わなくてはならないということは、違いがごくわずかであるから、統計的手法を使わなければそれが分からないということなのです。統計はわずかの違いしかないときに、相手を説得するためのツールなのです。効く人もいれば効かない人もいる。それらを平均するから違いが隠れてしまう。しかし、直感的に「この人には効いている」ということが分かる。
低線量被ばくの問題でも同じことが言えます。チェルノブイリ事故により明らかに増加したのは小児の甲状腺がんだけだと言うが、他のがんがないはずがないだろう。がん以外のその他の疾患についても「無いとは言えない」のです。統計的には証拠がないだけのことです。「エビデンス(科学的な根拠)=EBM」ではないのです。
代替療法についても、エビデンス(科学的な根拠)がないということは「効かない」ことではない。エビデンスレベルが高いといわれるランダム化比較試験はほとんどないが、それが補完代替医療を否定することにはなりません。しかし現状では有効性はおろか、安全性も確認されていないようないかがわしい代替医療が反乱しています。
がん患者としては、低いエビデンスレベルであっても安全で重篤な副作用のないものを、自分の治療方針と価値観に応じて上手に選択することが大事だと思います。
EBM=エビデンス(科学的な根拠)の誤解
エビデンスレベルに関して参考になる記事を紹介します。
中山健夫『健康・医療の情報を読み解く 健康情報学への招待』より、
『EBMの実践のためには、それぞれの領域の特性を考慮してそこで得られる最良のエビデンス(科学的な根拠)、すなわち”best available evidence”を利用すれば良いのであり、ランダム化比較試験(RCT)によるエビデンス(科学的な根拠)がなければEBMが実践できないというものではない』
『エビデンス(科学的な根拠)を使う局面では、適切に利用すれば現場の問題解決に役立つはずのエビデンスが活用されていない、いわば「使われなさ過ぎ」の問題と、一般論であるエビデンスを個々の臨床判断に無理に押し込もうとする「使われ過ぎ」の問題が併存している』
『「エビデンス(科学的な根拠)=EBM」という混同』
『Evidence dose not make a decision, people do.』
「EBMの実践と生涯学習の広場」というサイトには「EBMに対する誤解」のタイトルで、EBMについての6つの「誤解」を紹介してます。
- 誤解1:「EBMに基づいた医療」なる医療がある という誤解
- 誤解2:研究結果に統計学的有意差があれば、治療効果はあり、患者にその治療をすべきである という誤解
統計学的有意差があり「片方の治療効果の方が優れている」というのは、「単に比較した場合に優れている」ということであり、「どれくらい優れているのか」という効果の大きさについては全く触れていないということです。
もう1つ言えることは、有意差が出なかった研究でも、より患者をたくさん集めれば有意差が出るようになるということです。逆に言えば、わずかな効果しかない治療法で有意差を出そうとするなら症例数を増やせばよいわけで、いわゆる”大規模臨床試験”というのは、”症例数を増やして大規模にしなければ効果が証明できないほど、わずかな効果しかない治療法であることを証明する臨床試験”ということになります。つまり、症例数が少ない研究で有意差が出たものほど、効果は大きいことが分かります。”大規模臨床試験”といわれると、効果が大規模だと思っていませんでしたか? - 誤解3:EBMを実践することと、エビデンス(科学的な根拠)を患者に当てはめることは同じことである という誤解
ガイドラインも、EBMの手順にそって作られているものがありますが、その中で推奨されている治療法なども、必ずそれに従わないといけないというものではありません。 - 誤解4:EBMとは、エビデンス(科学的な根拠)を偏重する行動様式であり、医療者の臨床経験を否定するものである という誤解
EBMの一連の行動のうち、エビデンス(科学的な根拠)はほんの一要素に過ぎません。大切なことは、特定の治療法や検査方法が有効であるというエビデンス(科学的な根拠)を踏まえながらも、医療者自身の臨床技術や経験と、患者さんの嗜好や思いをどう組み合わせていくかということです - 誤解5:最強のエビデンス(科学的な根拠)はRCTである(RCTがなければエビデンス(科学的な根拠)はない) という誤解
RCTは効果が小さく、研究を行ってみなければその効果が分からないから行うのであり、明らかに効果のある治療法では、わざわざRCTは行われません。例えば、肺炎患者に抗生剤を投与するのとしないのとで治り方に違いがあるか、などといったどといったことは、RCTを行うまでもなく分かり切っているので、行わないわけです。1例でも明らかに効果が分かるのであれば、症例報告でも強力なエビデンス(科学的な根拠)となります。 - 誤解6:エビデンス(科学的な根拠)がなければ、EBMは実践できない という誤解
例えRCTが行われていなかったとしても、同じような患者に何度同じ治療を行って、毎回同じように治癒し、特に問題になるような副作用がなければ、それは治療として受け入れられる筈です。
人間が生活していく過程で、常にエビデンス(科学的な根拠)に基づいて判断しているわけではないし、多くは経験や直感に従っているのです。医療の場だけが特別だと言えるはずがありません。エビデンス(科学的な根拠)至上主義は福島第一原発の事故による放射線・放射能の影響に関して、多くの「御用学者」らが陥っている同じ誤りです。彼らは「エビデンスがないから治療しません」と言っているに等しいことが分かっていないし、その主張の反倫理性が理解できないらしい。