中野孝次『ガン日記』を読んで思ったこと

引っ越し後の部屋の整理に忙しくてブログの更新はしばらく間が開きました。パソコン・インターネットの環境も元通りになったので、ぼちぼち書き続けます。

ガン日記―二〇〇四年二月八日ヨリ三月十八日入院マデ (文春文庫)

中野孝次の『ガン日記』は食道がんの告知を受けてから入院するまでの日記ですが、公表や出版されることを予期していない日記で、彼のがんや死に対する考えが、直向きに記されています。

運命は、誰かに起こることは汝にも起こるものと覚悟しおくべし、自分の自由にならぬもの(肉体もしかり)については、運命がもたらしたものを平然と受けよ、できるならば自らの意志で望むものの如く、進んで受けよ、とセネカは教う。

と、『セネカ 現在人への手紙』が最後の出版となった中野孝次らしく、セネカに親しみ、その死に対する心構えに共感してきた彼は、告知の最初にはこのように受け止めようとする。座椅子に座り、庭の草木や小鳥を眺めていると、

すべてこともなく、よく晴れ、風もなき冬の午後にて、見ているとこれが人生だ、これでいいのだ、と静かな幸福感が湧いてくる。

しかし、紹介された大病院で余命一年と告げられ、治る見込みのない高齢のがん患者はいかにも迷惑だと言わんばかりの医者の態度に、「病院と現代医学への嫌悪、この日きわまる」と日記に記し、別の病院を探すことになる。誰彼の紹介によっていくつかの病院を転々として、結局は最初の病院に入院することになるのだが、その間に時間が経ち、病状も悪化していったようだ。在宅での死を望んでいた彼は、末期のがん患者を介護しなければならなくなる老妻のことをおもんばかって、「抗がん剤の地獄を耐えよう」と決心したうえの入院だった。

食道がんとはいえ、ステージⅠだったが、驚くような早さでがんが進展していったようだ。

セネカや道元や兼行の著作に学び、死への心構えができていたはずの彼でも寝られない夜があったり、出版社の編集者が勧める治療法に望みを託したりもする。やはり中野孝次でもがんとなるとそのような迷いが出るのかと、少し安心した。私のように、膵臓がんを告知されたその足でチェロのレッスンに行くほうがよほど鈍感なのかもしれない。

ただ、私が彼の『ガン日記』を読んで気になったのは、こんなことだ。中野孝次は確かに「今ココニ」生きることの大切さを説き、人はいずれ死ぬものであるから、その準備をしておくようにと、いくつかの著作に書いている。私もその通りだと思う。中野孝次がセネカや兼行の驥尾に付してきたように、私も彼の熱心だ読者で、彼を通じて兼行や道元や良寛らの驥尾に付することに努めてきた。

しかし、それだけでは十分ではない。

つまり、「死ぬ心構え、準備をしておく」のではなく、「がんで死ぬ心構え、準備をしておく」ことが必要だということだ。3人に1人ががんで死ぬ時代である。正に「誰かががんになるのなら、あなただってがんになる」のだから。

がんになったときの準備、情報を集めておくべきだったと思う。中野孝次はその準備をしてこなかったといわざるを得ない。だから、医者の診察結果の説明にも「よく分からないことが多い」とかいうことになる。あちらこちらの病院を転々とし、セカンドオピニオンというにはあまりにも場当たり的だと感じる。

「パソコンや携帯電話、インターネットなど要らない」といっていた彼は、もちろん食道がんについて自分でインターネットで情報を検索するということもできはしなかった。確かに普段の元気な生活をしている分には携帯電話やインターネットはない方がよいと思うことも、ある。しかし、ある日がんを告知されたとき、インターネットはなくてはならないものになる。もちろん情報は玉石混淆だ。それは「道具は使いよう」ということに過ぎない。

「運命がもたらしたものを平然と受け」るには、がんという病気は手強い相手だ。中野孝次が「がんで死ぬこと」への心構えに取り組んでいたなら、病気の展開ももっと違ったものになっていたのではないかと悔やまれる。

彼の闘病をあれこれと批評しているのではない。若いうちから、がんに対する知識を学び、いずれ自分ががんになったときに慌てないようにしておけ、ということを言いたいのです。


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