私はがんで死にたい

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この4冊の本に共通しているのは、①医者が書いた本、②死ぬときはがんに限ると考えている、③しかも、できるならば在宅死が良いと、④しかし、医療に頼りすぎるな、ということでしょうか。

中村先生の『大往生したけりゃ・・・』は以前に、ここで紹介しました。長尾先生はアピタルに『町医者だから言いたい!』を連載中だから、本は買わずとも(買ってやったほうが喜ぶだろうが)言いたいことはそちらで読めば良いでしょう。なので、小野寺先生の『私はがんで死にたい』について。

私はがんで死にたい―ホスピス医が決めている最期消化器がんの外科治療を40年、もちろん膵臓がんの手術もたくさんやった。そんな小野寺さんが、ホスピス医としての体験から、手術をしないで長生きしている人は意外に多い、と言います。抗がん剤の有効性は非常に低いのに、どんながんにも積極的に使う。効果を確かめもせずに、次から次へと抗がん剤を変えて治療を続ける。こんな現状を批判しています。

ぼろぼろになるまで抗がん剤を投与されて、ホスピスに来て抗がん剤を中止し、そのおかげで食欲が出てくると、前の医者に宣告された余命をはるかに超えて生きる患者が絶えません。

3.11以後、科学・技術が進歩しても「人間の力の及ばないことがあるのだ」というあたりまえのことが、現実を突きつけられることにより深刻に認識されるようになったのでしょう。医療にしても、膵癌にようにあっという間に末期となり、命の限界を宣告される現状は、たとえがんペプチドワクチンが使えるようになっても変わらないと思われます。

小野寺先生の遺言書でもあり、次のような章立てになっています。

  • 高度進行がんになったら手術は受けません。
  • 抗がん剤治療も受けません。
  • 体力がある間に、自分のやりたいことをします。
    がんと戦いすぎてはいけない。死を迎える態度よりも、元気なときの生き方こそ大事
  • 在宅死がいちばんだが・・・
  • 入院するならホスピスに
  • 痛みなどの苦痛は十分にとってもらいます
  • 食べられなくなっても点滴輸液は受けません。
    日本で最初に中心静脈栄養を始めた小野寺先生だが、末期がんには不要なことが多いと警鐘を鳴らしています。もちろん胃ろうなんてとんでもない。
  • 寝たきりになったら「鎮静」をしてください。安楽死ということですが、難しいでしょうかね。
  • 臨終が近づくときは、そっとしておいてもらいたい。

がん患者でしかも認知症という患者が増えているそうです。こんな状態にはなりたくないですね。「百まで生きて、がんで死ぬ」が私の目標ですが、その時の死に方も遺言を残しておかねばなりません。

死に際してもいろいろな人がいます。頸椎も固定された苦痛な末期なのに、いつも穏やかで医者は看護師に感謝の言葉をかけるクリスチャンの患者もいれば、死を受け入れることができず、気功を取り入れている病院(帯津三敬病院かも!)に転院して、最後はパニック状態で亡くなった患者、あるいは小学生の我が子を2週間も学校を休ませて臨終までつきあわせた母親。

死に方も、その人の人格です。


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私はがんで死にたい” に対して1件のコメントがあります。

  1. ななこ より:

    死に方もその人の人格です、とはまさに的を得ているなと思いました。父は末期の膵臓がんで最後の方はパニック状態で逝きました。冷たい言い方かもしれないけど、自分はあんな風に死にたくない。好きなもの食べてやりたいように生きた代償が早死ならば、それを受け入れて潔く死を迎えられたら良いのにと思ってしまいますが、人間ってそれほど強くないんですよね。
    せめて穏やかに逝けるように、私も遺言を遺したいと思います。

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