「膵臓がん患者と家族の集い」のご案内


5/19『膵臓がん患者と家族の集い』

【日 時】2024年5月19日(日) 14:00~16:00(開場:13:45)
【会 場】大田区産業プラザPiO 6階D会議室
【参加費】1,000円
【対 象】膵臓がん患者とその家族、ご遺族
【定 員】60名
【内 容】
   第1部 ミニレクチャー:HIFU(強力集束超音波治療法)の治験とは」オンコロ:金川潤也さま他
   第2部 患者・家族の交流会
申込締切は5月16日(木)19:00です。

詳しくはオフィシャルサイトで

『医者に殺されない47の心得』

医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
近藤誠氏の『医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法』が売れているようです。大田区の図書館でもこの本の蔵書が35冊ありますが、今予約しても467番目という”超”人気です。週刊朝日でも6月21日号で『徹底検証 「医者に殺されたい47の心得」の真実』と題して、2週連続の特集が掲載されています。

私も近藤氏の著作のほとんどを読んできたが、今回の著作は少し違って、抗がん剤の問題のみを論じているわけではない。『「血圧130で病気」なんてありえない』とか、「血糖値は薬で下げても無意味で、副作用がひどい」「軽い風邪で抗生物質を出す医者を信用するな」などは、まったく同感で納得できる。健康のためにはまず歩くこと、がん患者であっても歩くことが第一、がんと戦うには体力なくてはならない、そのために必要な食事を摂る、これも私が実行していることである。

「がんの9割は治療するほど命を縮める。放置がいちばん」と近藤氏は言う。だいたい「9割は・・・」という文言が出てきたときは注意した方が良い。90.0%という意味ではなく、むしろ逃げ口を残しておきたいという心境だろう。『9割の病気は自分で治せる』なども同じだ。

抗がん剤に対する近藤氏の考えは、

  1. がんには本物のがんと「がんもどき」がある。
  2. 本物のがんとは転移するがんであり、抗がん剤は効かない。(治らないし延命効果もない)
  3. 「がんもどき」は、放置しておいても自然と治癒するがんだから、これも抗がん剤は要らない。副作用を被るだけ損である。
  4. 本物のがんは、早期発見しても手遅れ。早期発見で治るがんは「がんもどき」である。

だいたいこんなところでしょうか。そこで、近藤先生に質問したい。

がんと診断された私のがんが、本物のがんなのか、「がんもどき」なのかはどうすれば分かるのでしょうか?

これに対して近藤氏は「5年生存率が一応の目安になる」と書いている。例えば膵臓がん全体の5年生存率が10%だとすると、1割が「がんもどき」で残りの9割が本物のがん。さすがに近藤氏も、なかには例外もあるが、膵臓がんの場合はほとんどが本物のがんだろうと述べている。

すると、膵臓がんの手術後6年を生きている私のがんは「がんもどき」だったのか? それとも「例外」なのか?

ものごとを白か黒かに分ける二分割思考は、一般受けはするだろう。しかし社会も自然界も、そして宇宙以上に複雑な私たちの身体も、白か黒かで決められることはごく少ない。がんは遺伝子の異常による病気である、遺伝子はその細胞から次の細胞へと連綿と引き継がれる、したがってがんの初期にその悪性度は決まっており、転移能力のある「本物のがん」と「がんもどき」に分かれる。近藤氏が言うように、これほど単純なら話は簡単だろうが、現実はそうではない。最近のエピジェネティクス理論(仮説)が教えているように、遺伝子の発現をコントロールしているのは、細胞周囲の環境なのである。がん細胞も周囲の微小環境との相互作用によってコントロールされる。微小環境はまた、怪物のような「免疫システム」の影響を受ける。免疫システムと脳は活発に情報交換をしている。ここに「心が身体に影響を与える」という誰でもが経験し認めた事実の根拠がある。

「がんもどき」理論は、後知恵として分かるのであり、事前の判断の基準には使えない。

分子生物学の分野では、遺伝子至上主義、DNA至上主義は終焉している。いまどき遺伝子のすべてが子孫に伝わるとか、DNAのすべてが分かれば病気
が予防できるなどという戯言を言う専門家はいない。遺伝子は単にタンパク質に関する情報を伝えているだけであり、どのタイミングでどのようなタンパク質を
作るのかは、遺伝子のもっている情報からは決定できない。

近藤氏は、近年の分子生物学の基本すらも理解していないようだ。ついでに言えば、

「放置すれば痛まないがんは、胃がん、食道がん、肝臓がん、子宮がんなど少なくありません。もし痛んでも、モルヒネで完璧にコントロールできます」

というのも、実際の緩和医療の現場を知らないのだろう。モルヒネでコントロールできずに痛みに耐えている患者もたくさんいる。

抗がん剤は本当に効かないのか?

近藤氏は「抗がん剤には延命効果もない」と断定するが、本当か。無治療と比較したランダム比較試験は存在しない。無治療で放置することが、現状では
倫理に反するで、無治療の患者を対象に試験をすることができない。近藤氏が持ち出してくる相当昔の乳癌患者の例では、検査精度などが現在値は違っているの
だから、これも比較の対象にはできない。

現状では、無治療と抗がん剤治療でどちらに延命効果があるかは、データがないから分からない、というのが正しい。近藤氏が『がん放置療法のすすめ』
で150人の患者の例を挙げようが、それはエビデンスとしては最低レベルでしかない。(エビデンスレベル Ⅴ 症例報告、専門家の意見、基礎実験)

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近藤氏が本物のがんだという膵臓がんでは、手術後の補助化学療法の臨床試験がいくつかある。膵臓がんでは多くの場合、手術できても5年生存
率は数%である。つまり、手術後もがん細胞が残っていると考えて良い。その患者をA群:手術単独、B群:GEM補助化学療法、C群:GEM+TS-1で3
年間の経過を観察したものが下のグラフである。

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手術後、体内にがん細胞がある状態で放置したのがA群だと考えて良いだろう。すると、何もしないで放置するよりは、明らかに抗がん剤
治療をした方が生存率は良い。5年後には、放置群の生存率は限りなくゼロになるだろうが、抗がん剤治療群は、何もしないよりも生存率が高くなるだろうと予
測される。抗がん剤による延命効果だと言えるのではないだろうか。

エビデンスをどのように生かすか?

近藤氏は大規模臨床試験の結果は信用できないという。これには私もある程度は同意できる。『ビッグ・ファーマ―製薬会社の真実』や『デタラメ健康科学—代替療法・製薬産業・メディアのウソ』には製薬企業のやりたい放題の例がこれでもかと列挙されている。臨床試験のデータを巧妙に操作する方法まで述べられている。日本でもノバルティス社のバルサルタン臨床
試験でデータ捏造疑惑が現在進行形である。だからといってランダム比較臨床試験のすべてが信用できないとはならない。近藤氏がよく持ち出す転移性乳癌の論文で、100年前の無治療患者の生存率曲線の方が近年の抗がん剤の臨床試験よりも成績がよい、があるが、100年前の臨床試験にはデータの操作がなかったのかどうかの検証はされていない。これでは片手落ちだろう。

ともあれ、臨床試験のデータ、エビデンスは「社会全体として誤りの少ない判断をする」ためのツールであって、最強の統計学ではあっても「個人の正し
い判断」を約束するものではない。生存率曲線をいくら眺めても、あなたがどの抗がん剤を使うかの「正しい判断」を与えてはくれない。

臨床試験は比較的若くて、すぐには死にそうにない患者を対象としている。いろいろな病気をもって薬漬けになっている老人よりは、一つの病気しかもっ
ていない若い患者の方が、より薬の効果を証明しやすいとの製薬企業の思惑があるからだ。だから臨床試験の結果を無思慮に誰にでも適用して良いはずがない。

個々の患者のがんの位置、種類、広がり具合や症状、各種臓器の機能、合併症などを総合的に判断して効くかどうかを「推測する」のであって、だから医
療は「科学」ではなく「技術」、サイエンスではなくアートであり、医者の経験と勘が重要なのだ。当然間違いもある。医療にミスや間違いはつきものである。
根絶しようなどと考えても無駄だ。

若くて子どもも小さく、少しでも生きていたいというのであれば、未承認の抗がん剤も含めてあらゆる薬を使うという選択肢もある。たとえ俳人のような
状態であっても一日でも生き長らえたいという考えも、反対するつもりはない。高額な代替療法に走るのも、本人が満足できるのならそれも良いだろう。逆に、
もう十分に生きたから、あとは副作用など遠慮して豊かな時間を持ちたいという考えもある。どちらも正解であるし、どちらが良かったのかは永遠に分からな
い。抗がん剤で延命する患者もいれば、命を縮める患者もいるだろうが、自分がどちらになるかは分からない。人間もがんも複雑系だから、予測不可能なのであ
る。予測不可能なことを予測しようとするのは馬鹿げている。臨床試験をするということは、薬にたいした違いがないからでもある。誰が見てもよく効く薬な
ら、ランダム比較試験などやる必要はない。この点でも近藤氏と同じ意見だ。統計は、わずかな違いがないときに、相手を説得するためのツールである。だった
ら自分の価値観で選べばよい。

私自身は、もしも再発転移したら、無治療で放置を選ぶつもりでいる。結論は近藤氏の推薦するものと同じだが、わずかの延命効果よりは生活の質(QOL)を重視し
たいからだ。しかし、苦痛を取るためにGEMや放射線で治療するかもしれない。低用量抗がん剤治療を実施してくれる病院でなら、そちらを選ぶことも選択肢
の一つとして考えている。

100歳まで生きてがんに死ぬ、ことが私の望みである。


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