生前葬コンサート 小椋佳
小椋佳が「生前葬コンサート」を計画しているという情報が昨年からあった。(2013/2/2付 東京新聞)
4月5日に先行予約で2枚のチケットを手に入れた。4日間の連続コンサートも初めてなら、会場が小椋佳がはじめて公に姿を見せたNHKホールだというのもいい。どの日にするかと迷ったが、生前葬というからには還暦の記念に作った『未熟の晩鐘』に収められている「落日、燃え」や「山河」のある日が良かろうと考え、まだ曲構成が発表されていなかったが、たぶん最終日に違いなかろうと9月15日にした。正解だった。
小椋佳はこのコンサートについて、次のように語っている。
僕は白州次郎同様「葬式無用 戒名不用」と考えていますが、家内は常識人なので、僕が死んだら きっと人並みの通夜や告別式をやるつもりでしょう。僕としてはそんな煩わしいことを家族に押し 付けるのは本意ではないので、僕が生きているうちに済ませてしまおうと思いました。
このコンサートで歌う100曲の生まれた経緯やエピソードを綴った初めてのエッセー『小椋佳 生前葬コンサート』も昨年に上梓されている。
私も同様に、死んだら葬式も戒名も要らないし、骨は散骨するか樹木葬でいいと思っている。小椋佳や「風のガーデン」の主人公、膵臓がんで亡くなる白鳥貞美のように生前葬等という大げさなことも不要だが、死ぬ前には何人かの友に会って、さよならが言えればいい。死んだあとのことは残った遺族が決めればいいのだが、できれば本人の意思も尊重して欲しいものだ。死んだらお終い。霊魂もあの世も輪廻も信じてはいないのだから。リビング・ウィルも書き始めはしたが、一向にに筆が進まない。
生まれて、生きて、親しい誰かのために何かをなし終えて、そして土に還るだけ。私の体を造るために少しの時間借りている、超新星の爆発によってできた炭素や水素や鉄などの原子を、元の持ち主に返すだけのこと。
生前葬を終わったら、もうコンサート活動はしないのだろうか? ま、化けて出てくるということもあるか。
『山河』はこんな曲です。
人は皆 山河に生まれ、抱かれ、挑み、
人は皆 山河を信じ、和み、愛す、
そこに 生命をつなぎ、生命を刻む
そして 終いには 山河に還る。顧みて、恥じることない 足跡を山に 残したろうか
永遠の 水面の光 増す夢を 河に浮かべたろうか愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。~~~~~
ふと想う、悔いひとつなく悦びの山を 築けたろうか
くしゃくしゃに嬉し泣きする かげりない河を抱けたろうか
愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。