訃報:加島祥造さん

詩人の加島祥造さんが亡くなった。

このブログに加島祥造さんの名前が登場するのは、膵臓がんが見つかって手術までの間、2007年6月23日の日付だった。『拾った命だから、のんびり生きる』などと書いている。手術の結果、再発など頭になくて、助かるつもりでいたらしい。

その翌日も『加島祥造のタオ-老子』である。

そして手術後の8月27日には『「求めない」 加島祥造、老子、セネカ』と書いている。

当時も今も加島祥造さんの現代約『老子』にはずいぶんと教えられたし、膵臓がんと言われても、動揺もせずに治療できたのは、ほとんど老子と加島祥造さんのおかげと言っても良い。

静けさに帰る(第16章)

虚(うつろ)とは
受け容れる能力を言うんだ。
目に見えない大いなる流れを
受け容れるには
虚(うつろ)で、
静かな心でいることだ。

静かで空虚な心には、
いままで映らなかったイメージが見えてくる。
萬物は
生まれ、育ち、活動するが
すべては元の根に帰ってゆく。
それは静けさにもどることだ。
水の行く先は—海
草木の行く先は—大地
いずれも静かなところだ。
すべてのものは大いなる流れに従って
定めのところに帰る。

(そして、おお、
再び甦(よみがえ)るのを待つ。)

それを知ることが智慧であり
知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。
いずれはあの静けさに帰り
甦るのを待つのだと知ったら
心だって広くなるじゃないか。
心が広くなれば
悠々とした態度になるじゃないか。
そうなれば、時には
空を仰いで、、
天と話す気になるじゃないか。
天と地をめぐって動く命の流れを
静かに受け容れてごらん、
自分の身の上でくよくよするなんて
ちょっと馬鹿らしくなるよ。

加島祥造さんは『求めない』の詩文集の冒頭に、

あらゆる生物は求めている。
命全体で求めている。
一茎の草でもね。でも
花を咲かせたあとは静かに
次の変化を待つ。
そんな草花を少しは見習いたいと、
そう思うのです。

と書く。そう、命を、生を全力で生きている。ただそれだけのことなのです。次の変化(死)を待つ。ただ、それが来るのを静かに待つ。私もそんな草花を少しは見習いたい。

ご冥福をお祈りいたします。


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