歩く瞑想

鎌倉・報国寺の竹林と枯山水の庭


私の朝食には二つのパターンがある。ローソンのふすまパン、豆乳、サラダ、目玉焼きまたはゆで卵。もうひとつは、玄米、焼き魚、煮た野菜、味噌汁。これを一日おきに取り替えて摂っている。サラダにはオリーブオイルをたっぷりかけて、目玉焼きもオリーブオイルで焼く。術後は玄米魚菜食が食事の柱だったのだが、血糖値が上がってきたために、ご飯類は制限してきた。しかし、糖質制限のおかげで空腹時血糖値も120前後と安定してきたので、部分的に玄米を再開している。といっても1回80gをキッチリと測って、お茶碗の半分くらいである。

昼食は外食が多いので蕎麦、牛丼ライト、若鳥のグリル焼き(ご飯抜き)などで、時にはふすまパンを持参して豆乳、サラダをセブンイレブンで買う。夜は家族に合わせざるを得ないので、私はご飯抜きのおかずだけ(もちろん焼酎は忘れない)という付き合いになる。

がんや血糖値を心配するだけの食事ではつまらないから、時には羽目を外すことを自分に許している。昨日はおやつにモンブランとシュークリームを美味しくいただいた。ま、たまには良い。

食事やサプリメントに悩むよりも、がん患者はまずは運動だ、というのが私の持論であり、この6年間実行してきたことだ。今日はMerrillを3台バックに入れて鎌倉に行ってきた。この連休は出かける機会も少なかったので、運動不足解消と、もちろん写真撮影が目的。GWの渋滞を考えたら遠くに出かける気にはならない。渋滞の中で便意をもよおしたらと思うとゾッとする。いつも紙おむつは用意していくのだが、万一が起きれば尻が落ち着かないだろう。

鎌倉は車で行くところではない。鶴岡八幡宮前はいつもにまして渋滞していたし、駐車場はどこも空いていなかった。私は横須賀線で鎌倉駅に行き、駅前で(吉備路のサイクリングで懲りたので)電動アシスト自転車を借りた。鎌倉の狭い道路での渋滞を尻目に、まずは竹の寺報国寺と浄明寺へ。トップの写真は報国寺でのものです。

古刹の境内を歩きながら、呼吸に意識を向け、歩く瞑想(歩行瞑想法)をやってみる。カバットジンの『マインドフルネスストレス低減法』にも紹介されているが、瞑想には、免疫系を刺激して抗体反応を良くする働き、脳を活性化してポジティブな変化を起こさせ、抗体産生が増加するという働きがあると言われている。座禅をしなければ瞑想ではないという誤解がある。カバットジンは、毎日の生活の中で注意を集中するためには、歩行瞑想法が手軽で最適な方法だと書いている。歩きながら歩くことに専念し、自分が”今、歩いている”ということを意識するのだ。呼吸も大事だ。歩きながら、息を吸うときと吐くときの、間の瞬間を”意識する”。

君あり、故に我あり (講談社学術文庫)
サティシュ・クマールは『君あり、故に我あり』で彼の母のことを書いている。ジャイナ教の敬虔な信者であったクマールの母は、教育を受けなかったので自分の名前を書けない人だったが、高い教養を持っていた。

母にとって歩くことは物理的な運動以上のものであり、瞑想だった。大地に触れること、土と結びつくこと、一歩一?を意識し、心を配ってあることは、思索の最高の助けとなった。

「息を吸うときと吐くときの間の瞬間に気を向けなさい。息を吸ってもなく吐いてもいない一瞬を見つめるのよ。その瞬間を引き延ばそうとしたり、息を止めたりする必要はないわ。ただ見つめるのよ。」

足が土に触れることに”気付く”、吸う息とは区域の間に”気付く”ことだという。しかし、両方を同時にはできないではないか、という問には「息をすることも歩くことも”考えなければ良い」と答えている。

呼吸に気付けば、同じ空気を吸っているあらゆる生命の存在に気付く。世界とつながっている。私はファインダーの中に、太陽と土に育まれて育つ樹木や、姿は見えないが初夏を喜んでいるうぐいすの鳴き声に”気付く”。こうして私も生かされている存在であり、ここに存在するのは”ただ今”の瞬間だけだということに気付くのである。


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歩く瞑想” に対して1件のコメントがあります。

  1. ガロ より:

    大腸癌サバイバーです。
    膵臓癌とは比べものにはなりませんが、お気持ちは健常者に比べ理解しているつもりです。気持ちに負けないでください。遠くからお祈りしています。

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